2010年10月25日月曜日

アキバで戦争があった

たまには回らない寿司屋はいかが?
 中央通りと蔵前橋通りの交差点である末広町一帯は、江戸時代、武家の屋敷地と商人・職人の居住地とが隣り合った場所でした。古地図を見ますと、アキバ寄りが商人や職人の町屋が連なり、日用品を取引していたようです。御徒町寄りは、越後・村松藩堀家の藩主が住む上屋敷など、10数軒の武家屋敷が集まっていました。明治維新のときに、末広町は激しい戦火にさらされます。1868年、江戸無血開城を不服とした旧幕府軍が上野寛永寺に立てこもります。上野戦争勃発です。新政府軍は外神田三丁目に集結して、攻撃を開始。戦いはわずか半日で終結しますが、アキバは戦火に晒されたのです。 


 末広町誕生は、上野戦争の翌年、明治2年です。戦闘に巻き込まれ家屋や屋敷を失ったヒトが多数出ました。そんな罹災者が末広がりで町が平和に繁栄して欲しいことから「末広町」の名称になったとか。このブログで紹介した「いし橋」は、上野戦争は明治5年創業ですから、庶民の生きるパワーとは大したものだと思います。時は流れて、末広町に昭和11年創業の寿司屋があることをご存知でしょうか? 「江戸前寿司 桜荘」がソコです。現役店員当時、同僚と連れ立ってランチを食べに行ってました。現在でもそうですが、庶民派の寿司屋です。


 ランチは11時30分~13時30分までで、この時間の「にぎり」は850円、1.5人前でも1200円です。小生は桜荘の「ちらし」が好きで、にぎりと同じ値段です。ランチは3桁までと決めているなら、700円の「穴子ちらし」や950円の「まぐろ丼」も推奨します。とくに「まぐろ丼」は厚く切られたネタが良心的です。さすがに本マグロではありません(当然です)が、寿司屋らしい内装を楽しみながらのランチはオツなものです。電気店の幹部クラスにも、この店の常連が結構います。彼らの昼食ならば、松(1200円)、梅(1800円)、桜(2400円)のいずれかだと思えそうですが、メーカーがスポンサーの夜席と違い、ランチは3桁ランチです。

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