2010年7月24日土曜日

再開発はいつなのか?



 この場所をご存知でしょうか? アキバ通の方々なら、すぐに分かりますよね。現在はコイン・パーキングになっていますが、以前はアキバではマシな味を出していた日本蕎麦屋さんの「志な乃」やラオックスのモバイル専門店などがありました。手前にはザ・コン本館が、フェンスに包囲された状態で、現在でも建っています。再開発にいつ着手するか、まだ、不明です。


「志な乃」は九段下の「斑鳩」という有名ラーメン店の近くに移転して、現在も営業しています。アキバのときと同様、民芸調の風情を残し、お品書きも以前のままですね。値段の高さも同じくで、いちばん安いざるそば・ざるうどんが850円。小生は現役店員時代に900円の合せ盛りを食べるときがありました。イチゲンさんが、その価格に驚いている顔を記憶しています。


ヤマギワリビナが映っています。このお店は輸入家電を先取りしたお店で、店内ではインテリアにこだわるヒトを見かけることができます。ベンチャー企業の経営者のなかに、「アキバはリビナでしか買わないなぁ」と話されたヒトがいました。一脚20万円程度の椅子に腰掛け、50万円はしそうなデスクを使っていました。さりげなく置かれたライトはバイオライト、オーディオはBOSEの高級品でした。小生には無縁です。


リビナの裏側の角に「伊勢丹発祥の地」の碑があります。はい、あのデパートの伊勢丹です。伊勢丹は旧町名・神田旅籠町の「伊勢屋丹治呉服店」にはじまり、1933年に新宿本店が開店するまで、秋葉原に本店がありました。伊勢丹のHPに当時の写真が掲載されています。アキバは馬蹄屋、骨董品屋、麻布屋などが数多くあった場所なのです。新宿の老舗百貨店も、インターネット時代にビジネスモデルの転換を求められていますけど。

2010年7月22日木曜日

AKB48劇場と若者たち

 いまや飛ぶ鳥も落としそうな勢いのAKB48ですが、彼女たち街中アイドルは、アキバのドン・キホーテの最上階にあるAKB48劇場から生まれました。実はココ、ドンキの前のアソビット・シティの時代に、イベントホールとして設置された場所です。ザ・コン本店地下の事務室で、当時の店長から、いろいろな作戦を聴かされたことがあります。まだ、ラオックスが中国企業の傘下に入るなんて、だれも想定していなかった時代の話です。ちなみに、アソビット・シティのグランドオープン記者会見が開かれた場所でもあります。
 
 アキバでは石丸電気を中心に、声優やアイドルたちの握手会、撮影会、ミニコンサートなどが開催されていました。ちょっと名前の売れた声優だとしたら、驚くばかりの若者たちが集まりました。アキバは新人アイドルをデビューさせるのに都合の良い立地だったのでしょう。その集客力に目をつけたのが秋元康だと思います。公式劇場になってから、照明や什器などで、さまざまな改装が施されました。小劇場とはいっても、203坪という広さがあります。建物全体は223坪だと記憶していますが、こちらの数字は自信がありません。なのにどうして書いたの? はい、あのビルにあったミナミムセンでマネージャーをしていたもので(汗)。
 
 AKB48劇場の定員は250名で、椅子席は170席あります。6人掛けの長椅子は、決して、座り心地が良いとは言えませんが、そこはアイドル力でカバーですね。立ち見席は80席あります。劇場の最後部にはお立ち台が設置され、ココからステージを見渡す“通”もいます。劇場の特徴として、ステージと客席の距離が近いことがあります。最前列席からステージまで約2メートルなので、最前列の確保に情熱を燃やす若者もいます。
 
 劇場の天井には48個のムービングライトが吊るされ、その他の照明器具まで含めれば、100個以上の照明器具がAKB48の可愛らしさを演出します。ステージ中央の天井にはミラーボールが設置されていますが、250席程度の箱に48個のムービングライトがあるのですから、多少のブスでも美人に変貌させることができそうです。コンサートが開かれる日の劇場ロビーは、通常の営業時間中は出入り自由なので、入場待ちをしていたり、AKBグッズ購入が目的の若者を見ることもできます。たまに、締め出される日もありますけどね。
 
 2008年6月8日に発生したバカが起こした事件の影響は、ココにも出ました。警察の指導で劇場内への荷物持ち込みが禁止されました。結果、ロビーにコインロッカーが設置され、手荷物はコインロッカーに預けてから入場するようになりました。コインロッカー数なんて知れたものです。荷物預かり所もできました。劇場に向かうにはドン・キホーテのエスカレーターを使います。実は、裏側にエレベーターが2機あるのですが、利用できるのは7階までです。ただし、同じエレベーターを使って、メンバーやスタッフは8階に行っています。…ということは、ココで待てば。現在、この行為は禁止となっています。

2010年7月18日日曜日

秋葉原協定に突っ込みを入れる

 千代田区のHPで秋葉原協定の全文を見ることができます。何人もの識者・関係者が議論して策定した結果なのでしょうが、小生、何度読んでもつっこみをいれたくなる箇所があります。理想と現実は違うよと反問されたら、「はあ」と天を仰ぐより他はないのですが、ちょっと突っ込んでみましょう。

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秋葉原協定

秋葉原は、世界に誇る電気のまち、先端技術やビジネスが集積するまち、アニメやフィギュア、ゲームなどのサブカルチャーのまちとして、新たな機能や文化を受け入れ、共存してきた文化創造都市です。

■突っ込み■
 小生なら以下にリライトします。秋葉原は、世界に誇る電気街、先端技術やビジネスが集積地、アニメ、フィギュア、ゲームなどのサブカルチャーが密集する場所として、新たな技術や文化を受け入れてきた文化創造都市です。原文は平仮名の「まち」の使い方が稚拙で、日本語の美しさを崩しています。

私たちは、この秋葉原の「いつも新たなものに出会えるまち、発見できるまち」としての魅力を守り、そして未来に引き継ぐため、誰もが安全で安心してまち歩きができ、買物ができるまちとしていきます。

■突っ込み■
 お分かりのように、やはり「まち」を繰り返し使っています。くどすぎますよね。小生なら、以下にリライトするでしょう。私たちは、秋葉原の「いつでも新たなモノに出会える専門店街、発見のある空間」という魅力を守りつつ、未来に継承するために、誰もが安全で安心して歩くことができ、買物できる場所にしていきます。

この秋葉原協定は、その実現に向け、地域の人々や来街者が守るルールです。

■突っ込み■
 ココに「来街者」という見慣れない言葉が使われ、やっと「まち」が「街」だと分かりました。小生ならば以下にリライトします。この秋葉原協定は、上記の実現に向け、地域の人々や来訪者が守るルールです。

このルールを行政機関等の協力のもと、地域関係者が一体となって推進していきます。

■突っ込み■
 ルールだと前の文章で分かっているのですから、以下にリライトすべきですね。行政機関等の協力のもと、地域関係者が一体となって推進していくルールです。

― みんなで協力、安全・安心、元気なアキバ ―

◇路上喫煙はできません。
・生活環境条例で、路上でのたばこの喫煙は禁止です。決められた場所でマナーを守り喫煙します。

◇道路は正しく使います。
・青少年に悪影響を与える活動や広告物の掲出、無許可のチラシ等の配布はしません。

■突っ込み■
 ココは重要な問題があります。「青少年に悪影響を与える」の定義はどうするのでしょう? また、チラシ等の「等」は何を差しているのでしょうか?

・置き看板やのぼり旗等は、道路上に設置しません。

■突っ込み■
 また「等」が記されています。また、アキバの実態は、まったく守られていなません。お店とは“お見せ”なのです。厳守すれば小規模店ほど不利な状況に陥ります。

・違法な路上での販売はしません。

■突っ込み■
 コレを記載する必要があるのでしょうか? もともと違法なモノはどこで販売してもいけないのです。それに、日本語として「違法な路上」と読めてしまいます。それはどこですかと質したくなります。どうしても記述しておきたいならば、小生なら以下にリライトします。路上販売はしません。

・違法な駐車・駐輪はしません。

■突っ込み■
 コレも同様で、道路交通法を遵守します、で済みます。

・自転車の無謀走行はしません。

■突っ込み■
 これも道路交通法のお話です。

・違法なパフォーマンスはしません。

■突っ込み■
 コレを読んだら、「違法なパフォーマンス」の具体例を知りたくなりますね。青少年に余計な情報を提供しそうです。

◇犯罪防止に努めます。
・まちの防犯パトロールを積極的に実施します。

・迷惑行為等のマナー違反については、見逃さずに注意します。
・犯罪行為を目撃したら、ただちに警察に連絡します。

◇まちの美観推進に努めます。
・まちの美観推進のための清掃活動には、積極的に参加します。

■突っ込み■
 美観推進の美を決めるのはどなたなのでしょうか? また積極的とは、どの程度を意味するのでしょうか?

・自分の家や店舗等の前は、日常的に清掃するよう、心がけます。

■突っ込み■
 また「等」が出てきました。店頭はお店の顔ですから、大半のお店がそれをしていますが、問題は「前は」なんです。どこまでを前と考えるのでしょうね。

・ごみ出しは指定曜日・場所、定められた時間帯に出します。

◇近隣に配慮した営業を行います。
・店舗の外まで行列が発生する場合は、歩行者の通行の妨げとならないよう、配慮します。

■突っ込み■
 コレも困った表記です。行列に関係するヒトなのか歩行者なのか、来訪者を見ただけ判別できるエスパーはアキバにはいません。さらに配慮してないお店は例外店です。

・店舗の営業にあたっては、騒音(スピーカー等による)や悪臭を発生させないようにします。

■突っ込み■
 困るのが、イベント会場のような騒音規定がない点です。“騒音と考えたら騒音”だとしたら、ソフマップなんて通報されまくれるのでは。また悪臭のほうも、以前、オウム関連の店が悪臭を放ったことはありましたが、店員や来訪者の体臭や香水でも、悪臭だと思うときがあります。解釈は主観の協定は問題有りですよね。

・貸しビル業等を営む者は、風俗営業や悪質な営業行為を行うテナントを呼び込まないようにします。

■突っ込み■
 長く続く不況に、ただでさえ老朽ビルだらけのアキバです。大家さん、不動産屋さんにしてみたら、相手がフーゾクかどうかまで調査をしていられません。結果的に事件を起こしてくれないことを祈るばかりなのです。

・深夜営業を行う店舗は、近隣に迷惑をかけぬよう、従業員を指導するとともに、細心の注意を払います。

■突っ込み■
 そもそも、夜は寝るものなのです。だから深夜営業の認可を得て営業しているのです。また、
「近隣」とはどこまでを意味しているのでしょうか? そちらのほうに細心の注意を払いたくなります。

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 と、微細な部分を突っ込みまくりました。あくまでも小生の主観ですが、原文の抽象的な文章に呆れたことも事実です。安心・安全を標榜したいことは理解できますが、画像にもあるように、繁華街とは、注意書きはあっても、ゴミが捨てられるという矛盾を孕んだ場所なのです。2011年1月23日から、電気街の歩行者天国が再開と決定しましたが、上記の矛盾を包容力と優しさで包み込んで欲しいものですね。

2010年7月15日木曜日

未来都市?


 マイクロソフトが品川で「2011年度経営方針記者会見」を開催した日に撮影した画像です。正直、JR「品川」駅が、こんな未来都市に変貌していることに驚嘆しました。東京って数年間立ち寄らないでいると、別の街に来たオモムキに出くわすことを実感しました。都市に体重があるとしたら、東京のソレは江戸末期からどれだけ増やしたのでしょうか。石造りが当然だった西欧と違い日本の場合は紙と木でできた建物が一般的だったはずです。
 
 明治に入り欧化主義者たちが煉瓦作りの建物を作るようになります。でも、それは東京や横浜などの、ほんの一部の地域に過ぎません。何故、それが分かるかといえば、B-29が焼夷弾をばら撒いたことでも分かります。日本の家の大半は紙と木でできている。焼き払ってしまえとヤンキーたちは考えたとか。東京の高層化が本格的に始まったのは、朝鮮戦争の後になってからでしょう。多分、東京五輪あたりから体重が急激に重くなっただろうと思います。
 
 JR「品川」駅には、山手線・京浜東北線・東海道線・横須賀線のホームがあり、構内の駅ナカ施設は、都内でもっとも早くから設置されていました。現在は「ecute 品川」「Dila品川」があり、以前、コチラのほうは取材しました。通常路線のホーム以外に臨時ホームもあります。東海道線・横須賀線の早朝・深夜の品川発着列車、品川終着の「湘南ライナー」などが使用しています。話は違いますが、「品川」駅が港区にあり、「目黒」駅が品川区にある話で盛り上がったヒトもいることでしょう。
 
 小生を驚かせた、画像にある品川駅東西自由通路の正式名称は、「レインボーロード」です。以前の品川駅は東側と西側を行き来するのに、品川駅を大きく迂回する必要がありました。それが、1998年11月1日に歩行者専用の通路ができて、利便性が飛躍的に向上しました。幅員は20mで、24時間通行可能で駅施設(駅ナかは別ですよ)ともつながり、東口地区との距離をぐっと縮めました。デジタルサイネージが未来都市のイメージを膨らませてくれます。

2010年7月13日火曜日

アルチザンの街

JR東日本都市開発が御徒町ー秋葉原間の高架下を職人の町として再開発するそうです。御徒町のアキバ寄り側に宝飾品街があることは、このブログでもご案内したことがありますが、今回は熟練を必要とする加工職人たちに、それを広げるようですね。アキバ側の高架下はガンダムカフェを過ぎれば、自転車置き場や倉庫に駐車場、途中に肉のハナマサ、フィットネスジムあるくらいです。


反対側の御徒町側のほうは飲食店などがありますが、それも100メートルも進めば途切れ途切れになっています。秋葉原再開発がはじまる前に、ある建設設計事務所のヒトの取材を受けたことがあります。アキバの高架下を開発してガードで途切れている現状から、東西を接続できる場所に変える必要があると主張しました。今回のJR東日本都市開発の「2k540 AKI-OKA ARTISAN」(日経は「アルチザンの街」と報道)事業がそうなってくれることを祈るばかりです。


「ものづくり」をテーマとした施設は、御徒町エリアが中心のようですが、工房とショップがひとつになったスタイル、ここでしか買えない商品、ものづくりの体験が出来るワークショップなど、とんがったスペースができることは結構ですね。ただし、御徒町側からアキバに接続する意識が必要だと思います。それは何故? はい、「ものづくり」は加工器具・電動工具が必須です。それを提供している場所は、御徒町ではなくアキバなのですから。


JR東日本都市開発は、「線路によって分断されていた流れが、高架化されることで解消され、新しい流れが生まれます。「ヒトを結ぶ」「モノを結ぶ」「コトを結ぶ」など様々な「結ぶ=LINK」により、高架下空間を有効利用。」と発表しています。詳細なコンセプトは同社の発表のほうをご覧ください。事業ですから収益を上げることが目的でしょうが、危惧するとしたら、観光地にあるような「オルゴールの館」「ガラス工房」「陶芸工房」「指輪作りコーナー」みたいな軽薄を絵に描いたような街では困るということですね(近そうな予感がします)。


アキバと御徒町の間なら、知人が店長をしている「テクノロジア」のノウハウで「ロボット製作工房」や、やはり知人が店長をしている「アキモバ」のノウハウで「モバイル応用ワークショップ」など、地域に根ざして欲しいものです。PC自作ワークショップあたりも欲しいところです。御徒町や浅草橋のアクセサリー部材ショップと提携して、ファッションリングやネックレス作成ワークショップをするなと言っているのではありません。誤解のないように。言いたいことは、観光地にありがちの安易な「ものづくり」と距離を隔てて欲しいんですね。

2010年7月11日日曜日

行政と地名

 アキバは外神田地区とヨドバシアキバのある神田花岡町に分かれます。神田佐久間町にも一部のショップが残っていますが、大半のショップは外神田地区に属しています。それにしても、行政側にとっては、そのほうが管理しやすいのでしょうが、味わいがあった旧地名を壊滅状態にさせたことは歴史的には犯罪行為にも等しいと小生は考えています。
 
 敗戦後の1947年、旧神田区が旧麹町区が合併して、現在の千代田区が発足します。当時、神田区内の町名すべてに「神田」が冠称されました。これは神田区の名前を残したかった住民の要求を行政側が応じた結果です。1964年12月1日、千代田区内で、この地区の住居表示変更が実施されました。これが古くから続く町名を消滅させました。
 
 地名変更の実施過程では、行政が不可解な対応をして、住民たちを怒らせました。結果、町名保存を求める運動へとつながり、区議会は全会一致で住居表示実施案の見直しを採択、区長の辞任騒動にまで発展しました。ドタバタ騒ぎは、神田相生町・神田花岡町・神田練塀町・神田佐久間町一丁目の各一部と神田松永町を残しました。
 
外神田一丁目(神田旅籠町、神田仲町、神田花房町、神田花田町、神田相生町、神田花岡町、神田佐久間町の一部)


外神田二丁目(神田台所町、神田松住町、神田宮本町、神田同朋町の一部)


外神田三丁目(神田金沢町、神田末広町、神田旅籠町の一部)


外神田四丁目(神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田花田町、神田相生町、神田練塀町の一部)


外神田五丁目(神田栄町、神田亀住町、神田元佐久間町)


外神田六丁目(神田五軒町、神田同朋町の一部)


 写真は旧田代町を示す掲示板です。

2010年7月9日金曜日

「はなの舞」が去って・・・

 ご覧のように、まだ「はなの舞」が映っています。はい、この撮影をしたのは2010年5月某日のことです。経営母体はチムニーで、1984年2月に、ジャスコ(現イオン)の100%出資の居酒屋FC企業として神田錦町で設立されました。日本がバブル崩壊に向かって疾走していた時期ですから、「洋風居酒屋・チムニー」は好業績を続けました。
 
寿司居酒屋・はなの舞」1号店は京橋で、1995年1月に開店しました。バブル崩壊後の1997年、経営権はジャスコから米久に移動します。米久の戦略は新業態フードサービスで、「居食工房・こだわりや」「ビア・チムニー」「焼肉バイキング ビア・チムニー」「立ち飲み処」「えんとつ屋」「炎のチムニー」「活魚はなの舞」「創作居酒屋 団欒 炎」「だんらん」などを展開します。


「はなの舞」は2003年8月には100店舗目を出店しましたが、この頃から外食産業は飽和状態を向かえ、またデフレ景気が本格的に広がりはじめます。それでも、新業態「食・菜・酒 知夢仁」「四季の心づくし 花の舞」などを展開し、2005年2月にジャスダックに株式上場を果たします。新業態戦略は「ファーストグルメ」「炙り居酒家 知夢仁」「海鮮うまかもんや はなの舞」「海鮮料理 さかなや道場」「鎌倉とんかつ 豚夢創家(トムソウヤ)」「やきとり道場 こだわりやま」「ホルモン道場」などなど。


 まだまだ展開は続きます。「昭和の台所 一丁目一番地」「熱烈中華道場」「一間酒場 1丁目1番地」と続き、はなの舞が500店目を達成した2009年11月にカーライルグループのエフ・ディーが、米久の普通株式公開買付けを実施します。エフ・ディーの公開買付は成功し、同社が米久の親会社になりました。外資は合理経営を過剰に求める傾向にありますが、アキバの中央通りの「はなの舞」の閉店が、その結果かどうか? その場所は現在、格安イタメシ屋の「サイゼリヤ」になりました。

2010年7月8日木曜日

不況時代のビジネスならば

 いつまで続くのか先の見えない不況時代、中古売買ビジネスが注目されています。アキバでも、PC・ソフト・ケータイ・書籍・トレーディングカード・フィギュアなどを中古売買するショップが目立ちます。限り有る地球資源を大切に使おうとする循環型社会への志向も中古売買市場の後押しをしているといえそうです。
 
 中古売買をするためには「古物商」の免許が必要です。この免許は各都道府県の公安委員会から許可を得るのですが、はぁ、公安委員会ってと首を傾げるヒトもいるでしょう。何のことはありません、古物売買を始めようとする場所近くの警察署を訪れて、窓口で問い合わせるだけです。
 
 あれれ、警察の民主的な運営を保障するために市民から選出された委員が運営するはずの警察管理機関がどうして警察署に? この点に興味を抱いたヒトは、研究してみてください。日本国の多重債務ならぬ多重行政を俯瞰できると思います。

 法的な意味合いでの「古物」とは、一度使用された物品、新品でも使用のために取引された物品、これらのモノに幾分の手入れをした物品です。実際の文言は、もっと分かりにくく書いてありますけど、小生は言葉は通じるが重要だと思うので、アレンジしています。要するに、古物と指定したら古物なのです。
 
 古物は、以下の13品目に分類されています。1)美術品、2)衣類、3)時計・宝石、4)自動車、5)自動二輪車及び原付自転車、6)自転車類、7)写真機類、8)事務機器類、9)機械工具類、10)道具類、11)皮革・ゴム製品類、12)書籍、13)金券類。ねっ、ありとあらゆるものが古物扱いできると理解できるでしょう。

 アキバのショップも古物商免許を取得しています。また、関連免許の古物市場主、古物競りあっせん業を取得しているところもあります。古物市場とは古物商間に関する古物売買・交換するための市場を指します。公安委員会から、この許可を受けたヒトは古物市場主と呼びます。古物売買は通常売買に影響を及ぼす可能性が高いので、売買記録を残すことが義務付けられています。


 インターネットを利用して、古物を売却しようとする者と買い受けようとする者との間でオークション(競り)が行われるシステムを提供する場合には、古物競りあっせん業の免許が必要です。勝手に営業することは許されず、古物競りあっせん業者として公安委員会への届出が義務付けられています。アマゾン、ヤフオク、楽天も古物競りあっせん業の免許を取得しているはずですね。