2010年2月28日日曜日

都内あちこち交通規制

 本日は「東京マラソン」の関係で運行してないけど、はい、これが都営観光バス「東京ー夢の下町」バスの車内。外国人に配慮して、英・中・韓の車内放送。東京駅⇔日本橋⇔秋葉原⇔上野⇔合羽橋⇔浅草⇔両国がルート。都バス料金(200円)で乗車できる。バス停の場所に注意。秋葉原の場合、平日と日曜で異なるのだ。
 
 本日は「浅草雷門」「両国駅前」「都営両国駅前」のバス停は休止。3万5000人のランナーを気遣うって大変だ。大半が市民ランナーであり、これだけの頭数ともなれば、交通規制だけでも大変。警視庁は朝から、マラソンコースや周辺道路で最大6時間以上の交通規制を実施中。こういう日だと思って、電車・地下鉄を使おう。
 
 浅草は都バスの要衝。ココを通過する都バスの大半が迂回ルートやバス停休止。出発地の新宿やゴールの東京ビッグサイトを通過する都バスも同様。東京マラソンはフルマラソンの部と、日比谷公園までの10キロの部がある。出場するには倍率10倍弱の抽選をクリアする必要がある。走るのが好きってヒトが全国から応募するとか。

 市民ランナーのスタートは本日の午前9時10分。都庁通りは午前6時から通行止め。ビッグサイトに向かう晴海通りは午前10時から競技終了後の午後4時25分まで通行止め。首都高も、4号線の新宿出入り口など7カ所で通行止め。ああ、まだ走ってる(歩いてるヒトも)。小生、ミゾレ天気に、コタツでミカンと決め込んだ。

2010年2月27日土曜日

だから、万世橋

 過去、「万世橋の下で泳いでもらおうか」と脅す店員もアキバで働いていました。汚かった神田川は、現在は少しはマシになっています。アキバのメインストリート中央通りも通る万世橋。写真のように、ココには免税店を訪れる観光客を乗せた大型バスも停車します。分かりやすい場所なので、集合場所に丁度良いのです。 

 小生、「万世本店」5階にある焼肉店「万世牧場」から中央通りを眺めるときがあります。中央通りを御徒町方向まで見渡せ、神田駅と御茶ノ水駅を行き交うオレンジの中央線と、イエローの総武線が走る中央通りに架かるガードを同時に見られます。万世橋駅跡は目の下です。真性テツではないですが、気持ち好い光景です。

 2006年までは「交通博物館」も見られたのですが、JR東日本は、なぜか埼玉にそれを移転させてしまいました。旧「万世橋」駅は明治まで交通の要衝で、だからこそ存在価値のあった博物館だったはずなのに。歴史ある神田佐久間町河岸に、関東一円の木材や農産物が船で運ばれ、鉄道に積み替えられて、各地に運ばれたのです。

 戦後、東京電気大周辺に戻った通信関連の元軍人たちは、九段に本部のあったGHQから、部品を横流ししてもらいました。それを神田駅周辺や須田町付近の露店で、ラジオに組み立てたのです。ラジオは当時のハイテクアイテム。彼らが戦後の電気街を形成。元軍人たちは、内部で規律を作り、それを厳守させていたそうです。

2010年2月26日金曜日

大切なニュースソースのひとり


 秋葉原モバイル、通称アキモバの北川店長との付き合いも長い。大切なニュースソースのひとり。そんなヒトをでっかい画像で紹介してよいのかと問われたら、「これで、いいのだ!」。もう何度か、小生テキストに登場しているから。

 アキモバはサイトをご覧になれば分かるように、PDAやスマートフォンの周辺機器にフォーカスしたアイテムが主要商品。北川店長は、かつての名店「モバイル専科」から独立して起業。島川言成の紹介で来ましたといえば、少しだけど、色をつけた価格を出してくれる(と思う)。

 アキモバ(http://www.akibamobile.com/index.html)が入居しているビルは、ググって確認してもらうとして、このビルは現在のアキバを象徴するようなテナントだらけ。以前はPC関連商品を取り扱うショップも入っていたのに、もはや“萌え”ビル。メイド耳掻き、メイドリフレなどに挟まれ、5階のアキモバを営業中。

 そういえばアキモバで取材中、日経BP社のKさんが来店。お客様としてだ。「お久しぶりで~す」「あら、島川さん、どうしてココに」「店長と長い付き合いがあるんで」という次第。分かりやすい言葉遣いをしてくれる、北川店長に、ケータイ絡みで不明な点を訊ねましょう。

2010年2月25日木曜日

外国人観光客に優しい場所を目指す


 アキバの免税店を訪れると、入り口付近に「Yokoso Japan」と書かれたポスターを目にします。これは、「2010年までに1000万人の訪日外国人誘致を目指すビジット・ジャパン・キャンペーン」があり、そのキャッチフレーズです。政府の肝いりで、さあ、締切年が今年なのです。

「Yokoso JAPAN」は外神田の街灯の垂れ幕にもなっています。中国語の簡体字・繁体字、ハングルなどで記載され、アジア圏の観光客(主に中国人)を意識しているのでしょう。人口13億の国ならば、仮にその1%が来日してくれたなら、キャンペーンのノルマを達成できますね。

 ヨドバシアキバもそうですが、アキバの店内アナウンスは、3カ国語が普通です。英語・中国語・韓国語で、「さあ、これが売れてるよ、買っていきな」です。都営地下鉄の駅構内も、同様に日本語まで含めて4カ国語表示にシフト中。海外の観光客に優しい国になるのでしょう。 

 世界のアキバは、「アキバ初心者救済ツアー」も用意しています。メイドがガイドです。観光資源面から見たとき、“ものづくり大国”の見える化を実現している場所です。元ラオックスでノウハウを蓄積した免税店「アッキー」さんは、アキバを代表する店舗に育っています。

2010年2月24日水曜日

うめーよ


 アキバ帰りに「亀戸天神」に立ち寄りました。1月31日~2月28日mで梅祭りの期間で、カメラ愛好者が何人も見られます。ココには紅梅50本、白梅150本があり、早咲きのものは正月当たりから咲き始めます。梅にも個性があるんですね。
 
 アキバから亀戸までの足は、文字通り、自分の足です。散歩は苦になりません。締切原稿の組み立てをアタマのなかでしているうちに、両国橋を渡り、三つ目通りを過ぎ、総武線のガードしたをクグリます。目的地は近づいています。
 
 蔵前通りに架かる天神橋を過ぎれば、葛餅で有名な「船橋屋」。江戸にも通じそうな風情が良いですね。さらに進んで左折すれば、はい、亀戸天神が見えてきます。お正月は大行列になる参道も、ゆらゆらと歩けます。春になりけり。

 梅を撮影中の年長者を背中越しにパシャ。いい構図だと満足します。このところの温かさで、梅は萎れた感じに見えましたが、梅の魅力に誘われたヒトが次々とやってきます。露店のおじさんが、「うめーよ」と売り込みに必至でした。

2010年2月22日月曜日

地デジに続く電波塔


 アキバでは地デジチューナー内蔵ワイド液晶TVや同PCが売れていますが、店員に勧められて購入というヒトが数多くいます。写真は完成が近づくほどホットなエリアに変わるであろう「東京スカイツリー」の本日を撮影してきました。場所は十間橋。最高の撮影地点と評判です。

 スカイツリーは墨田区押上に建設中の電波塔。完成時の高さは634mに達し、自立式電波塔では世界一の高さとか。2012年早春に完成予定です。2003年12月、NHKと在京キー局5社は地デジ本放送のために、600m級の新電波塔を求めました。2006年3月に、建設地がココに決定したのです。

 2011年7月24日には地上アナログTV放送は停波予定。スカイツリーは地デジ放送用電波塔になるのでしょう。あれれ? 完成は2012年早春では? そう、最初から現状放送の停波延期期間を設定していそうです。事業主体に等しい東武鉄道は総事業費、約650億円を調達しました。

 莫大は出費をしてモトが取れるの? テレビ局の賃貸料・観光客の出費・一帯の再開発などで収益を出す予定です。開業1年目は300万人が訪れ、経済効果は473億円との試算もあります。墨田区には、コレといった観光スポットがなかってので、スカイツリー効果に夢はせています。

2010年2月21日日曜日

アキバパッシング


 アキバの路地裏店の店頭・店内に、中古のノートPCやパーツを並べているお店があります。いわゆるジャンク品で、購入するしないは自己責任です。自宅で通電してみたら不具合品だったという場合でも、返品にも交換にも応じないが原則。どこから仕入れているのでしょうか?
 
 まず、ノートPCのモデルを確認します。大半が3年ほど以前のA4ノートか、店頭から消えたパーツ品です。お店が動作保証してあるものは値段が高く、ジャンク扱いのものは異様な安さ。知人は「ジャンク買いはスリルを味わえる」と話します。正常動作するものが多いんですが。

 ジャンク品は、これまで大手メーカーなどが卸していました。ところが、このところ入荷数がめっきり減っています。理由はアジア系の業者の進出です。アキバのショップに卸さずに、海外の業者に大量に売り渡すのです。一括で引き受けてくれるので、合理性が高い次第です。

 アキバでジャンク品を大量売買していた外国人たちに知恵がついたのです。メーカーとコネクションを保てれば、中国あたりに個人輸出する必要がありません。最近では最新パーツの流通も見られます。結果、ジャンク品価格が急落して商売になりません。店舗数も減少中です。

2010年2月20日土曜日

アキバ土産


 アキバの免税品店では、以前から日本土産を販売してきた。東京タワーの横に富士山がそびえ、高層ビルが並んでいる温度計みたいのです。木刀、手裏剣、日本人形、Tokyoネーム入り鉛筆にボールペン、ど派手Tシャツもありますね。
 
「外国人って漢字に憧れがあるみたいですよ」と教えてくれた店員は、「愛」「和」「魂」などの一文字Tシャツを指差しました。服色は真っ赤に黒々と筆文字。とてもでないが、小生には着れません。「萌」はとっくに定着済みです。

 フィギュアマニアのアキバ土産は、ラジオ会館4階の「海洋堂」です。以前、チョコエッグブームのとき、ダンボール箱ごと購入している大人買いの皆さんが散見できましたが、現在はレアなアイテムを探すヒトたちが目立ちます。

 レンタルショーケースでミヤゲ探し中の中学生たちの会話が面白かったですね。「オレ、ココからアソコまで欲しい!」「バカ、PSPを何台買えると思ってるんだ」「でも、欲しい」。彼らの目前にはレア、トレーディングカードが。

2010年2月19日金曜日

Tokyo's 3A


 小生は「Tokyo's 3A」という言葉をときどき使います。外国人から東京を案内してくれといわれたら、3Aに連れていくことです。Asakusa、Ameyoko、Akibaが3Aです。以前、勤務していた外資系企業で、ベルギーから出張してきた本社のヒトをご案内したら、嬉々としましたね。

「浅草」の歴史を語れば、どこの国のヒトでも驚嘆します。何せ、西暦628年3月18日の早朝に、檜前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁していたときに発見した観音様を祀り続けてきたんですよ。観音堂の建立は645年です。仲見世で売られる江戸小物、寿司・鰻・蕎麦の名店もあります。

「アメ横」は東京の国際化を象徴するリアルコンテンツです。ガード下で売られる世界中のモノ、威勢の良い鮮魚店の呼び声、アメ横センタービル地下はエスニック食材街、海外の銘菓なども売っています。世界各国のヒトが、それぞれお好きな食材を見出しては、笑顔を作ります。

「アキバ」は日本のモノづくりを象徴する専門店街です。外国人から見たら不可思議としか思えないようなグッズに溢れています。ズラリと並んだ全自動便器、健康器具、マッサージチェアにぽかーんとする外国人。免税品店も数多くあって、外国語での商品説明まで受けられます。

2010年2月18日木曜日

フツーの繁華街に向かうのか


 秋葉原駅電気街口、ラジオ会館に隣接したところに秋葉原ミツウロコビルがあった。あったと過去形で書いたのは、ビルの老朽化で建て替え作業に入ったから。ちなみにミツウロコは東証一部上場のエネルギー関連企業で、本社はUDXビルに入っている。かつては豆炭も販売した。

 このビルには、宝田無線、十字屋クロッシング、PC-NET、デジタルショップ東映、まんが喫茶、テイクオフなど多数のショップが入居していた。新ビルは何になるのかと思っていたら、パチンコ屋さん。ココにもアキバをフツーの繁華街にさせる動き。シャッタービルよりマシか。

 そうだ、アキバの一等地のはずのタカラダ無線横には「富士そば」ができている。「立ち食いそば」のね。その斜め前に「ラーメン康竜」秋葉原駅前店がオープンしている。繁華街は飲食店の密集地域でもある。カレー、ラーメン、立ち食いそばと、フツー化現象は止まらない。 

 以前、アキハバラデパート1階といえば、B級グルメ空間だった。今年中にアトレとして開店するが、そのときの1階の状況が気にかかる。アキデパ時代のように、ソフトクリーム、寿司、丼物、お好み焼き、讃岐うどんまで食べることができるお気楽空間を演出して欲しいものだ。

2010年2月17日水曜日

ラジ館に見るウツロイ


「世界のラジオ会館秋葉原」と電飾されていても、小生には“ラジ館”に過ぎません。何度、このビルに通ったことでしょう。シャープのポケコンを、ココで購入しました。プログラミングの知識を独学していた日々を回顧しますねぇ。

 ラジ館はアキバのランドマークの代表ですが、時代を象徴するアイテムを取り扱う場所でもあります。PCの時代、NECのPC関連部隊、元アスキーの西さん、ソフトバンクの孫さんなどが出没していました。古川さんはテツに聖地帰りかも。 

 現在のラジ館の主役は“萌え”の周辺でビジネスする会社です。レンタル・ショー・ケースは、現在では珍しくありませんが、イエローサブマリンがココにできたとき、既存のアキバ連中は、「いつまで持つかナ」と考えたのです。

 時代が文化を変えるんです。マイクロソフトが、今後のナリワイをWebサービスに求めるように、ラジ館はパーソナルアイデンティティを発表する場に化けています。個が収集したモノを発表し、他が価値を鑑定する場となりました。

2010年2月16日火曜日

ヤマダ電機は成長を続けられるか?


 モノを購入するとき、ドコのお店にしてますか? 「そんなもの、モノによって違うでしょ」が正解ですが、日用品に関していえば、大半のヒトは近所のコンビニ・商店・スーパーでしょう。家電品はいかがでしょう。コンビニで売る家電品は、せいぜい電気ハブラシ程度ですし、スーパーも“おちゃめ”程度の品数です。

 アキバなどの専門店を訪れることになりますね。ご自分が持つポイントカードで、行くお店が決まりそうです。売上から考えたら、ヤマダ電機・ヨドバシカメラ・ビックカメラの順番だと思います。では、この3店で消費不況時代に生き残ることができるのは? 以下、考察です。
 
 売上で他店を圧倒するヤマダ電機ですが、死角があります。店舗数が多過ぎる、がそれです。 ヨドバシと比較したとき、約26倍以上も出店しています。ビックカメラとの比較でも約18倍。いくら売上が高くでも、ヤマダがヨドバシやビックの10倍以上も売っているはずはありません。今後は実店舗のリストラが考えられます。
 
 有楽町「西武百貨店」跡地に、ヤマダは入居するかも知れません。もしも、コレが決定して、無事、開店まで辿り着けたら、その時点がヤマダの絶頂だろうと小生は考えています。どんな市場にも“規模の経済”から逃れることはできません。ヤマダが海外店舗で大成功すれば別ですけどね。

2010年2月15日月曜日

聖橋からの眺め


 さだまさしが『檸檬』という曲のなかで聖橋を出したのが1978年です。当時、交際していた女性が好きな曲で、「やっぱり男女が別れるときは、きっぱりと手を切りたいものだわ」と話しました。聖橋はJR「御茶ノ水」駅のアキバ側に架かっています。

 鉄筋コンクリートアーチ橋の放物線が綺麗です。今年もそうでしたが、お正月、アキバに向うとき、小生は聖橋を渡り神田明神に向かいます。1927年に完成しました。江戸総鎮守に手を合わせる人々の様子を観察。そして、明神男坂を下り、外神田に向います。

「聖橋」は、橋の両側に二つの聖堂があることに名前の由来があります。湯島聖堂はあまりに有名ですから、ご存知の方が多いでしょうが、もうひとつの聖堂とは? これに気づくヒトは少ないですね。なんと、ニコライ堂なんです。多神教国家日本を象徴してますねぇ。

 橋のデザインは、神田川を行き交う船に対するサービスなんです。つまり、聖橋は下から見上げたときに、最も美しく見えるようにしてあるんです。残念ながら、まだ、船で見上げた経験がありません。小生は橋の上からアキバ方向を見るのも好きです。超高層ビルが風情を悪くしていますけど。

2010年2月14日日曜日

ネットカフェで執筆して


 アキバのネットカフェで原稿を書いていました。大塚商会ばビジネスパートナーに配布している『BP Navigator』で、「知ればお得な最新IT用語検定!」という記事を連載しています。すでに2年間続いていますが、IT用語は続々と出てくるばかり。
 
 ヒトの出入りが激しいネットカフェでも、執筆に集中することは可能です。イベント会場のプレスルームの状況と比較したら、静かにも等しく感じます。レイアウトから提案したので、眠りながらIT用語の候補を挙げておきました。さあ、あとは、読者サービスをしながら、書き進めます。
 
 見開き2ページを約3時間で書き上げ、ネットカフェを出て、アキバ取材。昨日もそうでしたが、人出の多いこと多いこと。混雑する路上のあちらこちらにメイドたちが立ち、住友不動産秋葉原ビルのイベントスペースでは「宇宙戦艦ヤマト」が……
 
 イベントは「YAMATO EXPO'10 ヤマトより愛をこめて」で、入り口には3分の1スケールの宇宙戦艦ヤマトの波動砲モニュメントも展示。デジカメで撮影しましたが、実は“撮影禁止”でした。よって、そちらの画像をアップするのはやめまして、以前、撮影OKを出してくれたメイドさんにしました。

2010年2月13日土曜日

狂気に確実はありえない


 2008年6月8日のアキバ無差別殺傷事件は、小生にも忘れられません。あの交差点に自動車で突っ込むことからして、正常ではありません。さきほども通りましたが、狂気の運転手に危惧する自分がいます。それほど馴染みの場所です。

 事件から約1年半が経過して、ホコ天はどうなるのでしょうか? 再開を望む声より、治安の維持を望む声のほうが大きいという現実があります。所轄の万世橋警察署も、なるべくなら再開して欲しくないという空気を感じますね。

 外神田三丁目・四丁目の商店は、消費不況とホコ天中止のダブルパンチを解消して欲しいはず。都公安委員会は、確実に治安が維持できるまで中止というスタンスです。警察、区、地元関係者、有識者らも意見が混沌としています。

 ホコ天復活に影響力ある地元複数町会が加入する、万世橋地区町会連合会も、悩ましい回答を出すばかり。アキバの安全・安心を整備し、商店側も態勢を整える前提に、あの事件があります。狂気に万全な措置ができるものですか。

2010年2月12日金曜日

革命児の登場を請う


 アキバには古くなったビルが多数あり、現在もシャッターで閉じられていたり、解体に取りかかっていたり、新規ビルを建設しているところがある。シャッターでアキバの景観を台無しにしている代表は、旧石丸電気駅前1号店、ラオックス旧デューティーフリー館、ラオックス旧ザ・コンピューター本館だ。どうすんの?

 石丸電気は本店前の旧ゲームショップの権利をJRに返却したようだ。ソコもシャッターで閉鎖中。ラオックス、石丸電気といえば、アキバを代表する老舗であり、複数の店舗を抱えていただけに、スクラップは簡単でも、ビルドは困難な様子。消費不況、デフレトレンド、失われた20年というわが日本国。革命児の登場を請う。
 
 解体にとりかかっている代表はミツウロコビル。ここは解体後の行方が決まっていて、パチンコ屋さんになる。ますます、アキバの一般繁華街化が進むなぁと思うのは、サトームセン中央通店もセガのゲーセンになることも含めて。セガは現在も中央通のガードに近い場所でゲーセンを営業しているが、さらに増店という次第。
 
 建築中の代表には、ラジオ会館の裏側近くのビルもある。ココにできるのは「カラオケ館」。ヨドバシアキバの影にも同店はあるが、電気街側にもオープンさせることになった。まだ鉄骨を組む段階なので、時間がかかるだろうけど。ワシントンホテルはほぼ完成。営業は2010年5月中旬を予定している。アキバホテル戦争か。

2010年2月11日木曜日

2010年になってしまいました


 長期間、休眠状態にしていたら、な、なんと2010年になってしまいました。アキバは、それでも変化しています。本年は工事中のワシントンホテルが再開しますし、電気街口のステーションビルがアトレ秋葉原としてオープンします。  

 もちろん、ライターの仕事は続けています。日経BP社のPC Onlineサイトで「転生都市☆アキバ今昔」を継続中ですし、大塚商会のBPナビゲーターというペーパー誌でも連載を続けています。まっ、専門学校はクローズしましたけど。  

 休眠している間にOSも変化しました。Windows 7がソレですが、売れているかどうかより、PCの新モデルを購入すれば、コレがイントールされているモデルになってしまうのですから、普及して当然です。Vistaなる黒歴史誕生です。  さて、まだ、アキバから出発しないのか? 

 わはは、やっぱり、アキバは面白いんです。この街で働いてきたこともそうですが、ココでしか入手できないだろうと思えるグッズがたくさんあるんです。今後は、そのあたり書きますね。