2007年7月29日日曜日

内外違う東京駅の表情

以前、八重洲地下街にハマったことがあります。江戸時代に漂着したオランダ人にヤン=ヨーステンがいます。徳川家康の外交顧問となり、住んでいた屋敷がこのあたりにあったから、この地名になりました。東京駅と直結しているところから、和洋中の飲食店に居酒屋、有名ブランドの小売店から酒屋まで、さらにはイベントが開催されたり、リフレクソロジーがあったり、駐車場まであります。界隈で働く人たちと観光客が混在した繁華街となりました。

八重洲地下街は丸善、高島屋など、いわゆる日本橋に向かうにも便利な通路の役目も果たしています。世界で愛されているポケモンの直営店は、2007年7月から浜松町に移転しましたが、以前はそちらに向かうにも便利な通路でした。八重洲口と日本橋との微妙な距離の間に、古くから続いている飲食店が路地裏に見つけることができました。夜の路地裏飲み屋に長年通う年長者は、「駅との距離が絶妙にいいんだ」と呂律怪しく話してました。

八重洲口と反対側に位置する丸の内口。三菱グループの中核企業に三菱地所があります。同社は丸の内に30棟以上のビルを所有しています。丸の内の再開発が注目されていますが、リーダー的存在が三菱地所です。同社の発表では1998年から2018年までの20年間に、総額9,500億円(!)の投資を考えているそうです。なるほど、これだけのお金が使わるから、丸ビル、オアゾ、東京ビル、新丸ビルを次々と建てることができたわけですね。

丸の内側には「はとバス」の発着所もあります。以前、知り合いと屋形船に乗るはとバスツアーに乗車したことがあります。出発時間まで余裕があったので、皇居界隈も散歩しました。そう、丸の内は皇居を訪れる観光客が利用する出口でもあります。最近、外資系企業が丸の内一帯のビルに入居しているのか、いろいろな国の人にも出会います。どなたもセレブっぽい印象を与えてくれます。たぶん、年収平均では日本一だと推察できそうですね。

以前、丸ビルで人と待ち合わせました。丸ビル奥にイベントスペースがあり、慶応大湘南藤沢キャンパス主催イベントが開催されていました。「あれ、昨年まで六本木で開催してたよね」「はい、でも、今年からはこちらになりました」「どうして?」「三菱地所の役員が先輩でして・・・」という会話を耳にしました。事実関係は調べていませんが、たぶん、その通りなのでしょう。人工的な街並みが、こんな繋がりから、人間臭さが付加されていくのだと思います。

2007年7月28日土曜日

庶民のオフィス街?神田あちこち

山手線内回りで秋葉原からひとつ目の駅が「神田」です。アキバ同様千代田区の場末でして、地下鉄銀座線にも「神田」駅はあります。駅周辺で目立つのは、築何10年と思えるような中小の雑居ビルですね。一応、オフィス街だとジモティが語っていましたが、それはアキバと比較した場合を意味します。もうひとつのお隣の駅である、「東京」駅と比較すれば、ぷっ、下町の雰囲気がぷんぷんします。ガード下を散策してください。戦後が残っています。

駅周辺の雑居ビルで最初に目に入るのは「金券ショップ」です。以前、金券ショップの経営者から聞きましたが、「神田」駅周辺に同業者が集中した理由は「官庁から丁度よい距離だからなんだよ」とのことでした。新宿に移転する前の都庁の人がどのようにお店を活用していたのかでしょうか?個人名まで書けませんが、役所内には切手や印紙といった有価証券がたくさんあります。有価証券をキャッシュに交換する役人さんが何人もいたそうです。「どう考えても、不正な処理だと思うけど、モノは本物だからね」と商人の顔を見せました。

いまは消費者金融という言葉を使いますが、昔しふうに言えばサラ金が目立つのも「神田」駅の特徴です。貸金業者は最高裁判決以後のグレーゾーン金利撤廃を受け、美味しい企業環境ではなくなりつつあります。世の中には返済目的に借金を重ねる多重債務者がいます。09年に出資法(上限29・2%)と利用制限法(同20%)の間のグレーゾーン金利を完全撤廃します。大手消費者金融は、売上高に相当する営業収益ベースで30%のマイナス要因になると算定しています。「金貸しはどんな法律下でも金を貸す」と哂う人もいるのです。

「神田駅なら居酒屋でしょ」と話す人がいます。神田駅は街の区画を無視して、斜めに線路が走っています。駅周辺に三角地帯が多く、奇妙な形状の建物も見られます。煉瓦壁に囲まれ昼なお薄暗いガード下には、夕暮れともなるとオヤジたちが集中します。粗末なテーブルを囲む人々の背中には時代の哀しみが見られます。立ち呑み酒場から煙がもくもく。焼鳥屋、ロンドンパブ風バー、有名居酒屋チェーン、小料理屋風などなど、魅惑的な店が並んでいます。自分の好みでお店を選びましょう。どれだけ飲んでも値段の知れたものです。

駅西口には西口商店街があります。こちらは都心としては珍しく物価が安く、近くにある神田外語学院の学生たちから喜ばれています。中通には一軒家も見られ、いわゆる町中の商店街だったことがわかります。そう、古くは下町の住宅地だったのです。立ち食いそば店が集中していることも興味深いところです。昼休みの時間、近所のサラリーマンが財布と相談しながらお店を選定しています。本日はコンビニおにぎりだけというお父さんもいました。

2007年7月27日金曜日

秋葉原はいまでも変わる街

日本で有名な観光地といったらどこをあげますか?小生は以前、機械翻訳のベンチャーで働いていたことがあるのですが、同僚に外国人もいました。コイヤーくんという彼の家族が日本旅行に来日したとき、彼から東京の面白い場所を教えて欲しいと頼まれました。そこで、小生が教えたのは3Aです。外資系企業には外国人が多く働いていますが、この3Aを押さえておいてください。日本に来た人は、京都や奈良よりもエンジョイできること請合いです。で、3Aとは「浅草」「アメ横」「秋葉原」です。

家電店、パソコン店などが集積している場所として秋葉原は有名になりましたが、最近の秋葉原ではそうした見方をすべき場所ではなくなっています。アニメや同人誌、フィギュアやガレキ、鉄道模型や無線関係、セキュリティグッズや免税品など、個々の要望に応じたお店が散在する街に変貌したのです。ゲームやアニメの登場人物からスタートしたサービス業も生まれてました。メイドカフェはあまりに有名ですが、小生はコンセプトカフェと表現します。メイドパチンコにメイドリフレクソロジーまであります。

人は十人十色です。いかにも紳士然とされた方々、上記の各店をオタクショップだとかオタク系の店ののような表現をしますが、本人が好きでやっていて他人に迷惑をかけないようなら、どんどんやるべきだと思っています。いわゆるオタク的な人たちに共通するのは「コダワリ」の強さですし、その「コダワリ」は文化を進化させています。アキバではアイドルオタクに向けたイベントも開催されますが、他方、高性能な自作二足歩行自作ロボットに熱くなっている人もいます。パソコンという便利な機械は同人誌や同人ソフトにとって必需品となりました。CGに強い「こだわり」のある人の自作PCには驚かされます。

秋葉原を「趣都の街」「オタクの聖地」などと呼ぶ人います。マスメディアは、ちょうどテレビにあってカメラの前だけが真実であるのと同じように、系統化することが大好きです。映画の「電車男」は、アキバ=オタクを見事に印象付けてくれました。ところが、実際のアキバは、各店が日銭を稼ぐ修羅場のような面があります。他店との差別化をはかるために、「これ、違法じゃないの?」と聞きたくなるような商品が売られています。何かと話題の中国ですが、彼らは違法コピーしたアドビやマイクロソフトのアプリを堂々と販売中。CATVを無料で見られる検波チューナー、規格外のレーザーポインターなどなど。

アキバといえば夜が早い街で有名でしたが、最近はそうでもありません。ドン・キホーテができたあたりから、ネットカフェもあちこちに見かけられるようになりました。23時以降に入店すれば二千円以内で一晩過ごせるナイトパックがはじまります。夏コミ、冬コミの頃になると、そうしたお店は大繁盛しています。駅前再開発で秋葉原クロスフィールド、ヨドバシカメラマルチメディアAKIBAなどができました。資本力はる新参者は、中規模クラスのアキバの老舗の経営を苦しくさせています。いまも変わる街がアキバなのです。

ブログ開始のご挨拶

東京が日本の首都になったのは明治二年です。もっとも東京になる前の江戸は、当時としては世界最大級の町でしたから、17世紀から事実上の首都になっていた場所だといえるでしょう。小生は東京都墨田区寺島町という場所で生まれました。寺島町とは旧名で現在は墨田区東向島となっています。もっとも生まれてまもなく品川区中延という場所に引越しました。小生の東京の記憶はここからはじまっています。自宅の隣りはラーメン家さんでした。

現在は江東区に住んでおりますが、時間を見つけては東京のココ・ソコ・アソコに出かけています。どうして出かけてしまうのでしょうか?そう、東京には面白いところがたくさんあるからです。秋葉原の量販店でマネージャーをしていたとき、戦前の風景が残っている須田町界隈、神田青果市場、電気街の路地裏、御徒町周辺などを散策しました。どこの街でもそうですが、表があれば裏があります。知らない路地には数多くの発見がありました。

そんなこんなを書き綴りたいと思いまして、このブログをはじめることにしました。皆さんも、この近くには、こんな場所が、お店が、人がいるという情報を寄せていただきたいと思います。最初は山手線内回りから進んでいきます。線路は続くよどこまでも・・・ではないですが、このブログ、どこまで続くことやら。どうぞ、お楽しみください。