2010年6月16日水曜日

道は通じている

 画像はアキバの末広町交差点から神田方向を撮影したものです。正面の通りは中央通りです。小生、道の歴史に興味がありまして、以前、その手の書籍を濫読したことがあります。日本で有名な道といえば、まずは五街道(東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道)でしょう。起点の日本橋ができたのは1603年。翌年に五街道の起点となりました。

 一里塚もこのときに設けられ、さらに一定間隔ごとに宿場ができました。五街道の正式名称は1716年につけられました。東海道が1624年に完成、日光街道が1636年に完成(別説あり)、奥州街道が1646年に完成、中山道が1694年に完成、甲州街道が1772年に完成しています。東海道は天皇家と徳川幕府を結ぶから、一番目に完成するのは分かりますが、二番目が日光街道というのが面白いですね。

 日光街道は日本橋を起点に日光東照宮まで続いています。敷設した目的は、歴代徳川将軍が東照大権現に参拝するためです。つまり、徳川家康への感謝を忘れないための道です。道中には21の宿場があり、日本橋から宇都宮までのは、奥州街道と共通でした。国道4号線(宇都宮市以南)と国道119号線の通称として現在でも使われています。

 その最初の宿場が千住宿です。古くから水上交通の要所だった荒川北岸部の千住村は、戦国時代に千葉氏嫡流の支配下にありました。徳川家康が江戸城に移ると、1594年に千住大橋が架橋されました。インフラが整備されれば、発展が始まります。村は町となり、町域は広がるばかり。千住本宿は1-5丁目に、対岸の2町は南宿になりました。幕末には家が2400軒近く、人口が約1万人に達する江戸最大の宿場町になりました。

 あれれ、アキバから話がずれていると感じたヒトがいるかと思いますが、実は、アキバとともに成長してきた大学に東京電機大学があります。この大学が、現在の神田錦町から北千住に移転するんです。2012年4月に開校予定だそうです。もとはJTの土地だったようですが、八王子や埼玉と違い、都心に近い場所を確保できてよかったですね、工学部部長の脇先生(また、遊びに行きます)。

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