2010年3月28日日曜日

20世紀を代表するアキバ遺産

ラオックスの「ザ・コン」ができたとき、アキバ中のPCショップで働くヒトたちは度肝を抜かれた。アキバだけでなく全国展開していたショップが、外神田最大のPC専門店をオープンしたのだから。ソフトバンクの孫社長が、当時の経営陣を口説いた話は、後から知ることになる。

 ラオックスは創業者・谷口正治が1930年に墨田区で創業。終戦後、神田須田町に谷口電機を設立。1948年に家電小売部門を分割し朝日無線電機を設立。同店は1963年の千葉店の開店後、郊外に多店舗展開。1976年9月、朝日無線電機の営業部門の分離目的でラオックスを設立した。
 
 高度経済成長の波に乗り業績を拡大させたのはアキバ各店と同様。白物家電、オーディオ機器、PC関連と主力商品をシフトさせた。その最盛期、関東近郊・東北地方・信越地方にも地場量販店との業務提携や子会社化で店舗網を拡大。2000年代初頭の売上高は、実に2000億円以上。
 
 その後はバブル崩壊の荒波にさらわれる。PC販売は落ち込み、大型店舗出店は失敗、ロードサイド店、カメラ量販店の台頭などの競争に連敗。業績悪化しても上場企業。アキバでも、まさかザ・コンまでも手放す瀕死状態と考えるヒトは皆無だった。郊外店は次々と閉店を続けた。
 
 2009年8月に中国第2位の家電量販店チェーン「蘇寧電器」の傘下に入る。同時に新しく就任した羅怡文社長の方針で、ラオックスは外国人観光客向けの免税店として再建を目指すことになった。「ザ・コン」もファンド企業に売られ、現在は檻に囲まれた20世紀の遺産となった。

2010年3月21日日曜日

いろいろなご案内

 アキバの山手線下りエスカレーター前で発見した行先案内です。ご覧の通り、ヒトに踏まれて、アチコチの塗装が剥げています。この手の案内を作る業者の方に聴いた話では、「色落ちしないモノも作ることができますが、それですと滑りやすくなって危険なんです」だそうです。


 なるほど、透明アクリルケースに入れて、床に埋め込めば、そりゃ綺麗でしょう。だけど、その代わり、雪の都会よろしく骨折・捻挫をするヒト続出。しかも、場所は下りエスカレーター前。上から折り重なって、とんでもない怪我をするケースも考えられるでしょう。


 日本のユニークな標識国家でもあるそうですね。都バスの車内を見ると、20箇所以上もの下車ボタンが取り付けられています。山手線や総武線には、ドア上に液晶パネルが設置され、次駅案内・運行案内だけでなく、企業CMまで映っています。音が出てないことが救いです。


 先日、アキバの富士そばの食品サンプルを撮影する外国人を見かけました。そういえば、以前はかっぱ橋道具街のお土産だった、食品サンプルキーホルダーでしたが、アキバでは食品サンプルとUSBメモリーが合体しています。エビやタコといった、お寿司のネタのアレです。


2010年3月16日火曜日

外国人がフツーの街

 今後、この文字フォントでブログを作成します。テキストエディターに固定しました。HTMLをいじくるタイムロスを避けることが目的です。読みやすさを前提に考えました。シルバー世代にも気遣っています。文字の大きさに慣れればストレスを感じなくなるだろうと考えています。
 
 アキバはJR秋葉原駅を中心に免税店が増殖中にあります。海外仕様のメイド・イン・ジャパンを購入する外国人たちを数多く見かけます。免税店の店内は、いろいろな国の言葉が飛び交い、小生の興味を引きます。ファッションブランド系はギンザで購入しているようですが、アキバにもブランドバッグや化粧品を販売する免税店があります。
 
 メイド・イン・ジャパンの国際信用力は、トヨタショックでグラっときましたが、日本の企業の本質は揺るぎません。電気製品は特にです。中国で内部デバイスを生産しながら、国内で組み立て、その称号を与えたモノが支持されています。デジカメ・携帯音楽プレーヤー・ゲームソフトばかりではありません。アジア系の方々に支持されているのが、炊飯器や髭剃りだったりします。
 
 アキバ土産に興味を抱く外国人の光景がユニーク。学生時代、京都や奈良で買ったような商品が、免税店に並んでいます。ミニ日本刀ではなくペーパーナイフ、日本人形、お茶道具、江戸切子、アニメキャラがデザインされたグッズ類。Akiba関連用語がデザインされたTシャツなど。
 
 言葉を聴くと、英語、中国語、フランス語、韓国語、イタリア語、スペイン語といった順番になるでしょうか。英語を話すのはインド人が多いのですが、彼らはヒンディー語も併用するので、ときどきアレレと感じます。ちなみに、インド人たちのアキバビジネス参入率が上昇中。カレー屋さんだけでなく、インド雑貨などを販売するお店もできています。

2010年3月15日月曜日

ガシャポン(GASHAPON)

 ガシャポンの誕生は1988年。バンダイが、同社のカプセル自動販売機及びカプセルに入った玩具「カプセルトイ」と定義づけて商標登録。「ガチャガチャ」と呼ぶヒトや「ガチャポン」と呼ぶヒトもいる。アキバには大量にガシャポンを並べた、専門店が複数存在する。コレクターたちが運を天に任せている。


 コンビニやスーパーなどの子供向けコーナーにもガシャポンは並ぶ。通常ならカプセルの中身を見えるようにしてあるものだが、スリルを味わわせるためか、色つきカプセルの場合もある。バンダイがカプセルトイ市場に参入したのは1977年。累計約数10億個のカプセルが出荷されている。その約65%のシェアをバンダイが持つようだ。


 トレカもアキバで市民権を得ているが、これもバンダイが1988年に投入した「カードダス」から。カード自販機はアキバではフツーの存在だ。この手のカード玩具は手を変え品を変え、生き延びてきた。小生が子供の頃は、フリカケのオマケにもなっていたナ。大半は流行のキャラクターを採用する。あの頃は「エイトマン」。


 ガシャポンのなかに入ったキャラクターを見れば、時代が分かる。1994年はウルトラマン。アキバを訪れるコレクターたちは、ガンダム、仮面ライダー、スーパーロボット、ゴジラ、セーラームーン、ポケモンなどのコレクションを競い合ったものだ。最近では美少女やゲームキャラなど、オタク向け商品などの増加が目立つ。

2010年3月14日日曜日

男女がいる限り

 ヒトはソレゾレ、近寄りたい対象があるものです。「萌え」は、アニメ・漫画・ゲームなどのキャラクターなどに、好意・執着・興奮、的な感情を示した状態を意味します。子供の頃、自分にとってのヒーロー・ヒロインがいたはずです。小生の場合は手塚治が生み出したキャラクターでした。ウラン萌え世代です(笑)。


 そうした感情は正常な感性のハズです。ただし、「好き」と「萌え」の定義は重なっている部分とそうでない部分があると考えるべきでしょう。萌え側に立った場合、単なる「好き」程度を許容しません。萌える自身は恋愛の渦中にある当人なのです。「萌え」と言うからには、それなりのコダワリを示して欲しいと考えます。


 そう、「萌え」は「燃え」なんです。ちなみに「萌え」という言葉は、1980年代後半から1990年代初頭頃に成立したと指摘するヒトがいますが、はっきり言ってアホです。小生は「思い込み」から転じたと考えています。「思い込み」では言いにくいんですね。omoikomi→moeでは無理があると指摘するヒトもいるでしょう。


 2005年に、ユーキャン流行語大賞として「萌え」が選出されました。この手の言葉は永遠に転生します。「萌え」る対象は、世代・時代で変遷していきます。同様な言葉に「フェチ」があります。アキバは同時代に敏感な反応を示す街ですから、その手のヒトの支持を獲られるショップが現れます。この写真のお店は、男女がいる限り、継続することでしょう。

2010年3月12日金曜日

万世橋警察署

 交通の要衝だった万世橋界隈に、1905年4月、神田警察署万世橋分署が設置された。それから神田警察署の外神田分署などを経て、現在の万世橋警察署は1948年11月に設置された。現在の場所に移転したのは、2000年12月、当時、『週刊アスキー』に連載していたコラム「秋葉原コネクション」にそれを書いた。 

 アスキーが契約していた編プロ(校閲担当?)は、小生に断りもなく、現在の万世橋警察署と場所を誤解していると考えたのだろう。無断で原稿を書き換えた。ちょっと調べれば、過去の万世橋警察署が石丸電気向かい側にあったことくらい分かっただろうに。以前の建物は、一時、「警視庁万世橋分庁舎」として使われていたが、後ちに取壊された。 

 現役店員時代、旧万世橋警察署から呼び出されたことがあった。捕まえて万引犯が、小生の売場からもゲームソフトを盗んでいたのだ。中学生だった。2階の生活安全課で被害届けを書かされたのには参った。日曜日の3時間をそのために費やされた。盗んだ商品が置かれていた場所のラフスケッチも描かされた。 

 例の事件発生後、治安悪化を理由に署員が20名増員され、アキバの路上には定期的にパトカーが止まり、警官が目を光らせている。不愉快な職質をされたヒトもいるかも。ちなみに、例の事件の凶器となった自動車は秋葉原UDXビル1階の秋葉原交番至近距離で停止した。アキバにはいろいろな噂がある。あの交番にいた警官は、あの事件のとき、何をしていたのかのような?

2010年3月8日月曜日

独房カルチャー

 ネットカフェは現代のシェルターです。21世紀に入り、モノを独占することより、みんなで共有する「シェア」がキーワードになりました。PC価格の低価格化・導入の費用コストを共有するスペースという一面がネットカフェにあると小生は考えています。参入障壁も低い存在です。

 常時接続(ADSL)の実施を、ネットカフェは店舗の差別化に役立つサービスと考えました。その前に漫画喫茶の一部にネット利用できるスペースがありましたが、現在では、漫画の方が付帯サービスになりつつあります。PCを出先でも利用したいニーズに合致した結果なのです。

 オンラインゲーム対応PCの導入も、以前の漫画喫茶と距離を隔てるようになりました。漫画とインターネットの複合カフェが当然になりました。大都市への出店があれば、当然、地方都市に進出します。無縁社会にあって、独房こそ個人の自由を謳歌できる場所に変質したのです。

 日本の場合、再認識すべきは、「個人が自由を謳歌できる独房」という点です。一台のPCを複数の人々で「シェア」しながら、契約された独房を使用する個人は、個の時間を満喫します。現在、アキバにあるネットカフェは、さらなる個性の訴求段階に入りました。それは、なあに。

 いろいろ考えられます。独房メシ提供サービス、独房×独房シナジーサービス、独房型臨時企業、最新型PCアンテナスペース独房などなど。「独り」もシステムに乗せれば「群衆」にできます。今後はタイムシェアから、週・月契約スタイルのレンタル・オフィス・タイプの登場か。

2010年3月7日日曜日

アキバで成功に近づけるキーワード

 アキバでビジネスしてみたいと考えたことはありませんか? 小売店の場合、JR「秋葉原」駅に近く、大通りに面した一階が絶好の立地です。だけど、この手はアキバ各店が不動産屋に手を回していて、まず、出物がありません。中央通り沿いならば、尚更だと考えられますね。

 別に一階じゃなくても構わないというなら、坪単価1万円強程度の賃貸物件を見つけることができるでしょう。外神田2丁目の老朽ビルの3階が空いていました。賃貸物件は大半が2年契約で、坪単価×坪数が家賃、家賃の半年分の保証金、後は店舗の造作コスト程度でしょうか。

 現在、アキバビジネスで考えられるのは、コレクション要素が高い商品です。家電はヨドバシアキバが他を圧倒しるので、最初から諦めたほうが良いでしょう。それならば、中古買取、フィギュア・トレカ・ガシャポンなどの類だなと考えるヒト。その程度では難しいでしょう。

 なら何を扱えば成功するのか? アキバを訪れるヒトたちに共通するキーワードは「濃い・レア・自慢」です。アップルグッズだとしたら、日本でソコでしか入手できないってモノ。鉄道模型ならテツたちが他人に自慢できるモノ。そんなレアモノを発見できたら成功が近づきます。

2010年3月6日土曜日

マジコンと「いたちごっこ」

 任天堂などのゲーム会社54社が、不正競争防止法を根拠に提訴したアイテムがマジコンです。はい、アキバではゲリラ的に路上販売するヒトがいたり、路地裏店での販売はストップしていません。ゲームに仕掛けられたプロテクトを解除する装置などの販売は、1999年10月の不正競争防止法の改正で、違法と認定されています。
 
 ゲーム機・ゲームソフトのプロテクション解除機能だけを装備したアイテムならば販売行為は違法です。日本国内ではマジコンは違法機器なのです。マジコンが解除するプロテクションの対象は、著作権法や特許法などで守られる範囲を逸脱していると解釈されているようです。ならば法律を遵守する業者に変わりましたかね。

 東京地裁は、2009年2月27日、マジコンの輸入販売禁止と在庫廃棄を命じる判決を業者に言い渡しています。ゲームソフト会社の主張を認めたのです。任天堂は「マジコンに対して、今後も継続して断固たる法的措置を講じる所存です」とコメントしました。ネット時代の日本国内販売禁止という宣言は意味がありますかねぇ。

 別の目的で製造した装置が偶然プロテクション回避機能を持つとしたら……。PCのような汎用機器がソフト次第でいかようにも。楽天やヤフーは、マジコン自体の出品を禁止しましたが、偶発的機器が今後も登場する可能性があります。大体、不正競争防止法に刑事罰の規定はなく、この手は「いたちごっこ」に終始するものです。

2010年3月5日金曜日

批判的な目で手づかみ

 牛丼屋から居酒屋まで、以前、割り箸を使っていた場所が、現在、リサイクル箸に変わっています。コレは地球環境に優しいと話すヒトがいれば、滑りやすくて食べにくいと話すヒトまでいます。小生は割り箸派です。地球も大切ですが、イマの食べやすさが大切と考えるのです。

 アキバに「箸勝本店」があります。明治43年から外神田で商売を開始した老舗です。奈良県吉野地方出の庄屋さんは、豊富な木材資源の端材を活用した割箸を売りはじめました。箸は、本来、神と人の間を仲介する神聖な道具です。一期一会の精神が割り箸を誕生させたのです。

 割り箸の消費量は他産業と比較すれば少量です。なのに目の敵の扱いでした。女性たちが声高でした。感情を優先させる思考方法が得意な皆様は、最近、食育なる言葉を好みますが、食べにくい箸に優しい目を注ぎ、ファストフードを手づかみ。箸も文化であることは忘却の彼方。

「箸勝本店」は宮内庁の御用達のお店。昭和25年から。陛下が日常的に使われる柳の細くて軽い白木箸、ご旅行用の箸、各宮家が使われる箸を納めています。同店の方針は「正商」の精神。アキバに出かけたら、一度、立ち寄ることをお勧めします。本物の箸が文化だと理解できます。

2010年3月4日木曜日

ヤマダ天津進出は“飛ばし”なの?

 2月25日の日経新聞夕刊で、ヤマダ電機が中国・天津市に出店する意向を明らかにしたと報道されました。8月に市中心部の商業施設にテナント出店するそうです。売り場面積は3万平方メートル前後ですから、池袋の日本総本店を超える規模ですね。いよいよ、中国進出ですか。

 国内にあってヤマダは家電量販店のリーディングカンパニーです。ただし、売上高だけを見た場合の話です。ヤマダの店舗数は、2009年度を見ると700店弱。これに対して、ヨドバシカメラは20店舗。ロードサイドから出発したヤマダには効率のよろしくない店舗が数多いのです。

 ただし、ヤマダ各店がヨドバシ並の販売力を示したら大変です。日本中のIT・家電企業は本社がある高崎詣での毎日となりますね。小生、「高崎」駅構内でこんな会話を聴いています。「カネが出せないなら、ヒトを出せってことでしょ」「ヤマダさんも、そこらを考えてるね」。

 日経の報道を確認したロイターに対し、ヤマダ広報は、「何も決まっていない。2010年中には中国に第1号店を出すべく準備しているが、まだ調整中。第1号店が天津になるかどうかも決まっていない。いろいろな地域で調整している」と述べました。日経の“飛ばし”なのかナ。

2010年3月2日火曜日

やっちゃばの余波

 UDXビルの裏側にサンコーレアモノショップがあり、その隣りに「千代田海藻」という海藻専門店があります。店内には出汁がよくとれそうなワカメやコンブがあります。こんなお店が、どうしてこんな場所に、と疑問を感じるヒトはアキバの歴史を再認識することを推奨します。

 アキバには「神田青果市場」がありました。「千代田海藻」は、その余波のようなお店です。神田青果市場が太田市場に移転するとき、多くの卸売り業者が移転して行きました。しかし、移転しなかった会社も、これまた数多く残りました。「日本農業新聞」本社も残っていますね。

 ポン・ジュースでお馴染みの「えひめ飲料」も、まだアキバにあります。JA観光は万世橋警察署のお隣り。「秋葉原クロスフィールド」なる人工的な場所が、ニンゲン味を出すまで、まだ何年もかかるでしょう。都心では高層ビルのほうが効率的でしょうが、庶民は地べたに住むものです。

 今年はワシントンホテルが営業再開し、秋葉原アトレ開業に向けて、アキバの電気街口の光景がどんどん変化するはずです。スクラップ&ビルドは、今後のアキバのテーマとも言えそうです。電気街口にできるアトレ秋葉原店には、どんなテナントが入るのか、気に掛かります。

2010年3月1日月曜日

パトカーに守られるアキバ

 アキバの路上では、メイドたちに目を光らせる警官の姿も見かけます。路上に立つだけなら目こぼししますが、客引き行為と現認した場合は、万世橋警察署に行くのかナ。千代田区条例の看板規制も、歩行者を妨害すると現認した場合、指導が出るようです。大半は目こぼしです。


 個人の狂気は、どんな防護策をひねったところで、抑止することはできません。アキバの事件なんて、一時的にせよ、恒常的にせよ、精神が狂気に支配されていなければ実行できません。歩行者天国で青信号の横断歩道です。だれが自動車で突入してくることを想像するでしょうか。


 事件の発生後、歩行者天国は監視カメラの設置を対応策に、再開を要望するヒトが出はじめました。末広町町会は無線カメラを設置、死角のない場所をアピールしています。今後は外神田の各町会に、同様機器の普及を計画しています。「監視」で「狂気」を抑制するそうです。


 やはり事件後の光景ですが、旧電気街側ではパトカーの「警邏(けいら)」風景を見かけるようになりました。不審者を見出し、職務質問することも、ひとつの対応策でしょう。ただし、一見して不審者と分かるヒトが、街を歩くのでしょうか? 銃刀法違反容疑者は潜むものです。