2010年11月29日月曜日

縦列式宝くじ売場にしちゃうとは

縦列売り場にしちゃうとは
「日本はどこに向かっているの?」と質問されたとき、「良い方向に向かっている」と答えられますか? 「年末ジャンボ宝くじ」が売り出されました。宝くじの当選金額の上限をご存知ですか? 「当せん金付証票法」の第5条で、「当せん金付証票の当せん金品の限度」が規定されています。第5条第2項に、「ただし、総務大臣が当せん金付証票に関する世論の動向を勘案して指定する当せん金付証票については、一当せん金付証票の当せん金品の最高の金額又は価格は、証票金額の100万倍に相当する額を超えない範囲の額とすることができる。」とあります。額面金額の100万倍が上限なら、1等賞金が3億円の宝くじを発効できるんですけどねぇ。


 閉塞感に満ちた時代の宝くじならば、国民に夢を持たさせるべきです。1999年のドリームジャンボ発売以来、1枚300円の宝くじの1等当せん金は2億円。合法的に1等金額を上げられますし、飛行機事故に遭遇して死ぬよりも低い確率なんですから、「そうしなさいよ、アンタ」とマツコ・デラックスっぽく指摘します。宝くじは、天下りズブズブの日本宝くじ協会から委託された「みずほ銀行」や一部地方銀行のATMで購入できます。アキバには古くからおじちゃん、おばちゃんが売る宝くじ売場があります。「給料は良いの?」と訊ねたら、「月に7万、8万ってとこかなぁ」とぼやいてました。何年も前のことです。先日、アキバのUDX側の宝くじ売場が奇妙な配置になっていました。どこからかの指示されたのか、アトレ秋葉原1が関係するのか、縦列にしちゃうとは。


以前は左端のほうに並んでいました
 みずほ銀行宝くじ部では、現在、平成23年度 宝くじ「幸運の女神」を募集中です。お仕事は宝くじPR活動で、抽せん会、イベント、テレビなどに出演するチャンスもあります。締め切りは2010年11月30日(※当日消印有効)です。スタイル抜群、お顔にも自信のある20歳以上の女性は応募されてはいかがでしょう? 女神になると、支度金50万円のほかに、ユニフォームが用意され、全国各地で行われる抽せん会に出演すれば1回(2日)当たり5万円(手取り)、その他イベントなどでは、1日当たり2万5千円(手取り)が支払われます。交通費・宿泊費も実費支給されます。任期満了時に謝礼金も出るそうです。就職難の時代、何にでも挑戦しましょう。

デフレ不況に喘ぐ小生を救う【島川言成のメッケたぞ!】でお買い物してね!

2010年11月27日土曜日

「駅」の本質を考えてしまうから

おお、こんな牛乳もあるのか!
 小生、JR東日本に批判的な内容を書くときがありますが、ソレは世間のフツーからの着眼点での発言です。以前、コインロッカーの価格を書きましたが、駅は公共の場所に等しいとの考えから、駅周辺も納得できるサービスを提供すべきと考えてのことです。駅ナカビジネスは、テナント料を支払って出店できる(富める)側を優遇しますが、そうではない側に経営リスクを与えます。実際、ソレで淘汰されたお店があります。駅直結という位置は、高い賃貸料の代わりに、天候に左右されない恩恵を与えます。ヨドバシアキバやアトレ各社が実証しています。
 
 秋葉原駅5番線「総武線」新宿方面行きホームに、ミルクスタンドがあります。ココもアキバでは古くからある場所で、小生もパンとビン牛乳だけの朝食したことが何度かあります。「酪王カフェオレ」「いちご牛乳」などなど、銭湯の冷蔵庫でも見つけたら、「ややや」と驚く銘柄まで販売しています。画像を2度クリックして、画面を最大にしていただければ、レアな銘柄を発見できると確信します。一方で駅ナカビジネスモデルを批判しながら、こうしたお店があることを、小生は強く肯定するのです。
 
「あんた、ソレを矛盾と言うのだよ」と指摘するヒトはしてください。論理の破綻と批判されようが、駅ナカのミルクスタンドは認めながら、アキバの駅ナカ1階のフードコートに違和感を感じるのです。どうしてなのでしょう? 多分、小生の脳の襞の奥底に、「駅」という公共の場へのロマンがあるのだと思います。どなたでも買える価格帯のモノには容認、高額でも平然と提供する駅弁などの飲食物への不満、コインロッカーに見られる割高なサービス費用、などなど。時間がコダワリを融解してくれるよね。多分、娑婆に小生はいないと思いますが。

デフレ不況に喘ぐ小生を救う【島川言成のメッケたぞ!】でお買い物してね!

2010年11月26日金曜日

27年以上もアキバで巣くう謎の男

絵売りねーちゃんの向こうに津軽のふらふら姿が
 小生の日記帳に“津軽”が出てきたのは1983年です。彼はアキバの不思議に含まれる人物で、アキバ店員たちは、いろいろな噂をしていました。松下電器(現パナソニック)のベテランヘルパーは、「津軽は真冬が近づくと暴れ出して、万世橋警察署のお世話になり、冬は刑務所で過ごす」。東芝の派遣社員は、「津軽に酒を飲ませりゃ客を引っ張ってくる」。彼は電気街のあちらこちらに出没しては、自由気儘に歩き回っています。大体は酔っ払っていますけれど。
 
 どこの繁華街にも名物的なヒトがいるものです。東西自由通路にある100円ショップのキャンドゥの店員と“津軽”の会話を横で聴いていたことがあります。「コレ、売れんのかぁ」「はい、売れます」「売れるんだ、売れるんだ」「はい、売れます」。キャンドゥの女性店員は終始、ニコニコしつつ応対に懸命でした。彼が退店してから、小生は店員に質します。「はい、気に入られたみたいでぇ」(苦笑)。彼はニコニコと受け入れるヒトを好むのです。
 
きょうの津軽は派手な衣装でした
 血に染まった“津軽”を目撃したこともあります。「いつもの調子でアベックに寄っていったら、いきなり男のほうに殴られたらしいんだ」と現在はLABIヤマダになった、当時、サトームセン駅前一号店の店員が話していました。警官も来ていましたが、数時間後、“津軽”は路上で雄たけびをあげていました。もちろん、手にはお酒がありました。青森出身だから“津軽”とする説が、アキバ店員の間では有名ですが、実際のところは誰も知りません。冬は刑務所で暮らすも、もちろん、噂の域を出ていません。きょうも“津軽”は、絵売りねーちゃんをからかいながら、元気な姿を見せていました。あっ、ちなみに最初の写真に絵売りねーちゃんが映っているのですが、特定できたアナタは、そうとうのアキバ通ですね。

デフレ不況に喘ぐ小生を救う【島川言成のメッケたぞ!】でお買い物してね!

2010年11月25日木曜日

須田町で時代を遡る

かつては二階で男女がランデブー
 かつて連載していた『日経ベストPC』で、須田町一帯の老舗にお世話になりました。藪蕎麦もそうですが、昭和5年創業の「竹むら」も、奇跡的に戦災に遭わなかった日本建築です。入母屋造り、木造3階建てのどっしりとした建物は「東京都選定歴史的建造物」でもあります。同様の建物が、「いせ源本館」(あんこう料理)、「神田まつや」(蕎麦)、「かんだやぶそば」、「ぼたん」(鳥すきやき)です。どれも都選定歴史的建造物に指定されています。一見の価値ある一画だと思います。
 
「竹むら」の二代目ご主人はPCのマニアでもあり、小生の取材にも快くご協力いただきました。もちろん、取材だけでなく、店内で甘味も食べました。「鬼平犯科帳」などを著した故・池波正太郎は「竹むら」を贔屓していました。その結果、池波ファンが数多く訪れます。実際、店内に入ると、時代を遡った感覚になります。昔しの汁粉屋の雰囲気を醸し出してくれます。寒い季節ならば、「あわぜんざい」を推奨します。もっちりした粟の上に、コクのある自家製のこし餡、煮小豆がとろり。関東風に紫蘇の実の塩漬けが箸休め。


入り口かられきs
 手土産を買うならば、ゴマ油の風味が香ばしい「揚げまんじゅう」を推奨します。手作りのまんじゅうに小麦粉の衣、ソレをカラリと揚げた「揚げまんじゅう」は、油が良いので、食べられる口福を味わえます。もちろん、店内でも食べられます。「竹むら」では店内でお餅を搗いています。冬場の「おぞうに」に、この搗きたての餅が2切れと、かまぼこ、椎茸、三つ葉、海苔が入ります。正当な東京風の雑煮を味わってみてください。有名店ながら、支店は出さず、地方発送も行っていないお店です。あんみつ、くず餅、ところ天もあります。喫茶店ができる以前の若者たちは甘味店でデート(かつてはランデブーと言う時代もありました)でした。

デフレ不況に喘ぐ小生を救う【島川言成のメッケたぞ!】でお買い物してね!

2010年11月20日土曜日

アキバでまともな蕎麦を

藪系列の総本山です
 たまに、マトモな蕎麦をすすりたくなるときがあります。江戸時代の中期、鰻屋に比べたら安価で食べられる蕎麦屋が出始めました。うどんは関西で食文化が進みましたが、蕎麦は江戸食文化のひとつです。どこが最初の蕎麦屋なのかを調べるのは、食文化史の研究者でしょう。ウィキペディアには、「江戸時代後期の『三省録』『近世風俗志』では、1664年(寛文4年)に「慳貪(けんどん)蕎麦切」の店が現れた」と掲載しています。落語の「時そば」を聴けば分かりますが、当初は屋台を引っ張って営業していました。落語では値段が十六文だったので、二八蕎麦と呼ばれたとしますが、近年はそば粉8割とつなぎ(小麦粉)2割だからの二八蕎麦との解説が多いようです。ちなみに立ち食いそばの粉の割り合いは逆です。小生は咽喉越しから下手な十割そばより、フツーの二八蕎麦を好みます。
 
 さて、アキバでまともな蕎麦をすするとなれば、残念ながら電気街から離れる(といっても近くですが)必要があります。コレだけで「ははあ」と感じたヒトは、相当の蕎麦通ですね。そう、1880年創業の藪蕎麦系列の総本家「かんだやぶそば」か、1884年創業の庶民に愛される「神田まつや」を指しています。両店は距離にして百メートルも離れていませんが、小生、どちらのお店も、仕事でも個人的にもお世話になっております。背筋を真っ直ぐにして蕎麦と対峙したいときは「藪蕎麦」を訪れ、リラックス気分でずるずるしたければ「神田まつや」に行くといった具合です。両店とも人気店なので、お昼時を避けるようにしています。


撮影したのは両店ともお昼時でした
  以前、午後2時過ぎに「神田まつや」に出かけたら世襲議員のⅠ先生が、秘書と支持者を相手に蕎麦談義をしていました。目の前に蕎麦があるならば、会話は中断、即座にすするべきです。冷たい蕎麦は、古くから3たてを重要視します。「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」がソレですが、小生はコレに、「締めたて」「盛りたて」「配りたて」の3たてを加えます。まともな冷たい蕎麦は供された途端、何もかも忘れて、食べすするべきです。いまの時期の新蕎麦は、恍惚とさせる匂い、咽喉越しの快感、まさにご馳走です。残念なことは、まともな蕎麦はほんの少量で、価格が高いことですが。


デフレ不況に喘ぐ小生を救う【島川言成のメッケたぞ!】でお買い物してね!

2010年11月18日木曜日

日本蕎麦の上に女怪盗集団のアジトが

シュールな光景に鳩が落ちます
 日本蕎麦の「満留賀」は、何度も訪れています。現役店員時代は、「じゃんがら」「ラホール」「ベンガル」などに飽きると、仲の良い同僚と「そばにすんべえ」と通ったのです。味がどうたれを語る蕎麦店ではありません。味濃いものが多いアキバ生活をしていると、あっさりしたものを食べたくなる日があるんです。そんなとき、満留賀で“もりそば”を食べていました。当時から“おでんそば”はあった気がするのですが、現在の“ふかひれそば”はなかったと思います。まっ、フカヒレ自体は味がないに等しいですから、そばに合わないことはないと想像します。いつか、食べましょう。


 同僚はココの“カツ丼”がお気に入りでした。そば屋ってだし汁に困りませんから、コレを応用したカツ丼、親子丼、ラーメンって、結構いけるんです。「満留賀のカツ丼はあっさり味で、食べ飽きませんね」と話していました。親子丼も、“鳥つね”あたりと比較するものではありません。神田青果市場に出入りする業者たちの倉庫が周囲にあった蕎麦店なのです。丼片手に、箸でかっこむ食べ方をすることがお似合いなのです。で、現状ですが、あらら、写真にあるように満留賀の階上は、いつの間にか「B-cats」なるコンセプトカフェバーになっています。上下の乖離に驚嘆するというか、アキバに深みというか。


 いつ、こんな混沌模様になったのかと調べたら、B-cat'sは2010年8月1日に開店してたんですね。コンセプトは「ようこそ怪盗集団B-catsのアジトへ。」とのことで、「アジトにはどんな男性もメロメロにしてしまう女怪盗集団B-catsがいる」ようです。「Cats達は楽しいトークや笑顔を武器にあなたのハートを狙い打ちする」とか。「満留賀の上の店行った?」と、この手に詳しい知人店員に訊ねました。「ああ、1時間800円だかの1チャージ、1オーダー制の店ですね。オタクの世界じゃ、ちょっと知られた娘が店長ですが、行ったときはいませんでした」。人気のメイドの囲い込みって大変なのでしょうね。

デフレ不況に喘ぐ小生を救う【島川言成のメッケたぞ!】でお買い物してね!

2010年11月16日火曜日

どこまで続くアキバ壁新聞

浜田の壁新聞で記録媒体の価格チェック
 アキバ各店では壁新聞作りに必死です。壁新聞の目的はいろいろです。自店の売買価格を訴求したり、話題の商品の入荷状況を知らせたり、新製品の発売日を明らかにしたりと。専用ソフトで作るショップもあれば、手書きのショップもあります。専用ソフトは利便性が高いのですが、味気ない文字の羅列になりやすく、小生は現役店員時代、手書き壁新聞一本槍。以前は店内に貼ったものですが、ソレを店外に掲示したのはソフマップの功績が大きいと思います。が、店外掲示はアキバの美観から見たとき、いかがなものかという問題も発生させました。
 
目当てのDVD価格はいくら?
 建物の壁面に貼る場合、印刷なり手書きなりした紙をラミネートして、壁面に貼りますが、紫外線などの影響を受けて劣化してしまいます。貼った当初は、凝った色合いなどに満足するのです。ところが、日にちが過ぎるに従って色落ちが激しくなり、白っぽく汚くなってしまいます。そうしたことを気遣う店員は、定期的に新しい壁新聞を作るのですが、無頓着な店員が働くショップは、見にくい(醜い)壁新聞が放置することになります。この視点からアキバ壁新聞をチェックすることもアキバの魅力です。無頓着ショップほど売れない傾向にあります。
 
壁面活用に長けるソフマップ
 頻繁に壁新聞を更新するのは記録媒体、内蔵メモリーといった価格変動が激しい商品です。USBメモリー、SDメモリーなどは、あまりの激しさに、価格部分だけを貼り変えたり、「在庫切れ」の紙を用意するショップもあります。またDVDコンテンツなどの買取価格も価格変動が激しいので、壁新聞の更新が大変です。売買価格を数多く掲載したり、価格変動に対応するためにチラシを用意しているショップもあります。さらに、アキバの美観を重視するヒトが問題とするのが、アダルトや同人誌絡みの壁新聞です。“萌え”要素は最強のアイキャッチなんですね。今後はデジタルサイネージの活用も広がります。

2010年11月14日日曜日

見るテツならばヨダレを垂らしそうなレストラン

万世牧場は見る鉄を嬉々とさせます
 アキバで働きはじめたとき、万世橋の秋葉原寄りの角は魔窟のような萬世ビルが、橋を渡れば老朽化した「肉の万世」がありました。魔窟・萬世ビルは、真偽は不明ですが、湾岸戦争時代、イスラム系の企業が入居していて、武器に転用できる電子部品を電気街で調達しては輸出していたという噂を聴いたことがあります。同地を買収したのがザ・コン景気に酔っていたラオックスでした。Laoxデジタル館が建ちました。電気街で働く店員たちは、「アソコじゃ無理だろう」と話していました。道路を一本隔てただけで、アキバ感覚が薄らぐ場所でしたから。ラオックスが中国企業傘下になる前の話です。
 
 このビルは、それ以前にバブル時代を象徴するような本店ビルを建てた肉の万世には、いい迷惑だったことでしょう。上階に行けば行くだけ値段が高くなるレストランビルは、景観も売りでした。過去にご案内したかも知れませんが、ココでは、奢りでも自腹でも食事しています。小生は、総武線・中央線・山手線と中央通りを一望できる焼肉レストラン「万世牧場」からの眺望が好きなのですが、デジタル館の経営状態の悪化が、その眺望価値を低減させたと断じます。せっかく中央通りを一望できる右側が、パチンコ店と居酒屋が集中するビルに転じたのですから。万世橋駅跡が再開発されれば、ますます眺望が悪くなるでしょう。
 
上の写真の1階に「モーブーカー」が写っています
 肉の万世で目立つのは、ビルのてっぺんにも飾られている赤い牛の笑った顔ですが、戦後のココは電機部品商の鹿野無線でした。精肉・コロッケ商に転生したのは1949年のことです。不景気に強いのは飲食業と判断したようです。アキバに出入りするヒトたちの腹を満たす作戦は成功しました。どこかの格安ステーキ屋と違い整形加工肉を使わない万かつサンドは、あちこちのランドマークだけでなく、2010年11月19日にグランドオープンした「アトレ秋葉原1」でも、ドンキ1階でも売られています。また、食肉卸売業、レストランチェーンなども営んでいます。秋葉原本店ビルの8階にはイベントフロアもあり、メーカーが発表会やパーティなどを開くことがあります。安く飲みたければ地下へどうぞ。

デフレ不況に喘ぐ小生を救う【島川言成のメッケたぞ!】でお買い物してね!

2010年11月12日金曜日

復活させたい七・五調連載

100が月連載の最終回

 日経BP社の月刊誌『日経ベストPC』は、現在でも季刊誌として残っていますが、今回はキラーコンテンツを求める、多分、国内に数1000人はいるであろうWebプロデューサーに向けたプレゼンテーションをします。小生、『日経ベストPC』で「電脳狂歌塾」という連載を100ヶ月間担当していました。四文字熟語や七・五調が大好きな小生が、“電脳宗匠”となり、読者が投稿した狂歌の選者となっていました。現在でも、PCやITに関する戯れ歌は詠み続けています。はい、日本全国のWebプロデューサーで、2007年で一旦終了している「電脳狂歌塾」を、Webで復活させたいというヒトを募集いたします。
 
 大半の方々は、どれくらいの反応があるものかと考えるでしょうから、最終回をデジカメで撮影しました。ご覧のように、日本全国に固定ファンができて、毎回のように投稿してくれる読者も数多くいらっしゃいました。もちろん、選者としての心得として、特定企業や製品の名誉を傷つけるような狂歌に関しては、選外としました。「新しき 狂歌塾をば Webで 夜明けの空に 星輝きぬ」。うむ、当社のWebサイトで始めて欲しいと思われた方は、是非、声をお掛けください。IT、PC、ゲーム、アキバなどに関係なくても結構です。
 
 以下、最近の作品をご案内しましょう。
 
  アキバなう ツイートを見て 万世の
  万かつサンドが きょうの昼食  
 
  Windows ウルトラセブンと 握手して
  セブン発進 ビスタさよなら
  
  木枯らしが 身体縮ます 外神田
  歩を進めるは 自販のおでん
  
  テラバイト 価格急落 HD
  SSDに 感想聞きたし
 
 七・五調は日本の文化です。賢者の登場に期待しています!

デフレ不況に喘ぐ小生を救う【島川言成のメッケたぞ!】でお買い物してね!

2010年11月10日水曜日

千代田区お墨付きの株式会社

 千代田区副区長が代表取締役の非営利目的の株式会社が「秋葉原タウンマネジメント」です。本社は東西自由通路内にあります。で、同社の設立趣意書をご一読ください。ずらずらとアキバ概要史を述べていますが、奇妙なことに、「○○するために設立する」は、「(秋葉原)地域の魅力価値を高め、問題を解決する組織」と記載しているだけです。資本金6490万円で、1名の代表取締役の下に、7名の取締役、2名の監査役がいることも分かりますが、HPには社員数も財務諸表も未掲載。千代田区民は情報公開を求めるべきでは。


 事業計画を見ますと、非常に広範囲な事業をすることが分かります。交通治安維持事業、美観推進事業、施設・地区整備事業、観光促進・産業創出事業の4事業のもと、バスロータリーにあるオアシス@akibaの活用、地域パトロール、防犯カメラ設置支援、秋葉原PR、総合的な広告事業などをやっているようです。ところで千代田区には、「まちづくり推進部」という部署があり、まちづくり総務課、都市計画課、景観・地区計画担当課、地域まちづくり担当課、道路公園課、開発担当課、建築指導課があります。どうも、合理的ではないように感じます。


 その「秋葉原タウンマネジメント」が、「Akiba Smile プロジェクト」の一環としてバスロータリーに画像にあるような広告塔と設置しました。広告収入は上記事業に還元されて、結果的に設立趣旨に沿わせるようですが、あの場所に広告塔を設置できるのは、同社以外は不可能だと思います。住民・事業者・大学・NPO及び行政機関とのイコールパートナーとは、別の意味で考えたら怖さもあります。民間警察的な色合いも出そうと思えば出すことができるのですから。地域の公器が健全な組織であることを祈るばかりです。

デフレ不況に喘ぐ小生を救う【島川言成のメッケたぞ!】でお買い物してね!

2010年11月7日日曜日

記録媒体の購入を考えたなら

磁気研究所の直営店
 アキバでBD、DVD、CD関連の記録メディアを購入するとき、「磁気研究所」、通商、“磁気研”の実売価格をチェックします。1979年3月創業の同社と小生は無縁ではありません。管理職をしていた量販店に、磁気研のセールスさんが営業にきたことがありました。中間管理職の小生は、当時のY上司に取り次ぎました。80年代のアキバでは、それなりに名前が知られた卸元でしたから、磁気研との取引はメリットがある判断したのです。ところが、上司はケンモホロロにセールスさんを追い返しました。小生は呼び出され、「ウチはメーカーと直で(取引)することに決まってんだ。余計な時間を使わせるな!」と怒鳴られました。


 当時、アキバで最大級のフロアを自慢していたショップでしたから、「メーカーと直」とは上司のプライドだったと思います。磁性体媒体は、ソニー、マクセル、TDKなど取引をすることになりました。記録媒体は磁性体から光媒体に変りましたが、磁気研のショップは現在も健闘を続けています。アキバの昭和通改札口を出て、すぐ右側に公園がありますが、その近くの亀谷ビルの1階に、各記録媒体を並べたショップがあります。もう30年以上もブレることなく、記録媒体一筋です。コレだけ長期に渡る経営をすれば、いろいろな噂も聴きました。売掛金を数億円回収できなかったとか……。


 アキバでは小生も、いろいろと痛い目に合っています。懇意にしていたソフト会社のSという管理職に、PC-9801VM2とディスプレイを5台ずつパクられたことがあります。「請求書は会社の方にお願いします」という言葉を信じたのに、代金が支払われません。相手先企業に連絡したら、「Sは先週退社しています。同じような電話があちこちから掛かってきて、当社も困っています」との返事。磁気研が抱えた不良債権とは比較にならないほど少額ですが、小生は潔く責任を負いました。磁気研は、そんな修羅場を乗り越えて、現在では記録媒体の卸元として高いシェアを獲得しています。ノーブランド記録メディアでも、ココのなら安心と、小生は購入してしまいます。

デフレ不況に喘ぐ小生を救う【島川言成のメッケたぞ!】でお買い物してね!

2010年11月5日金曜日

アキバすごろくのフリダシとアガリ

1Fと2Fは日高屋です
 アキバ商売すごろくは、路地裏の老朽ビルの階上を起点に、中央通りの路面に進出して、さらに株式公開という“あがり”向かいます。過去にあっては、地下昼食禁止の「ソフマップ」がソレです。現在の中央通りを見ると、絶叫いらっしゃいませの「あきばお~」、けっこう安い。の「イオシス」などが、中央通り進出に成功していますが、「ツクモ」の失敗事例のように、結局は大資本の傘下に(ソフマップもそうなりましたね)絡め獲られることがあります。何故、そんな結果になってしまうのかと言えば、小売店ビジネスがメーカー依存体質にあるからでしょう。
 
 メーカーは売れる小売店であればあるだけ、美辞麗句を並べるばかりか、好取引条件を提示してきます。老朽ビルで健全経営して、運転資金に余裕があったのに、家賃の高い場所に変れば経営体質を変える必要に迫られます。商品には仕入れ金額があり、“爆安”にすればするだけ利益は薄くなりますから、ソレを多売でカバーできないと、経営状態が悪くなるばかりです。アキバには身の丈経営を維持しているお店が数多くありますが、ソコに「設備投資費用や運転資金までご融資いたしますよ」と甘い誘惑がやってくるんです。「よし、ウチの実力を認めてくれた!」と融資話に乗るか乗らないか?
 
マジコン屋去って秋葉弁当来る
 画面を2クリックすれば最大画面になりますが、中央通りの階上には“萌え”系ショップが目立ちはじめています。「熱烈中華食堂 日高屋 秋葉原中央通店」が路面に接しているのが、いすずビルです。中央通りの反対側から見れば、あれれ、そう階上フロアにはメイドカフェの進出が始まっています。「アキモバ」がある小暮末広ビルに目を転じれば、以前から入居している同店以外は、一発当ててやろうと考えたテナントが入居しては、しばらくすると別の店になる状態が続いています。アキバの雑居ビルの入居テナントの定点観測は面白いですよ。やってみてください。

デフレ不況に喘ぐ小生を救う【島川言成のメッケたぞ!】でお買い物してね!

2010年11月2日火曜日

夢はせる外神田の”おまかせコース”

奥の石段が明神男坂です
 アキバ各店も氏子である「神田明神」はあまりにも有名です。江戸総鎮守の“商売の神様”へは、小生も現役店員時代、毎年の仕事始めの早朝、経営陣の後ろについて行かされたものです。拝殿に向かってお賽銭を投げたなら、二礼二拍手一礼。終えて、お店に戻り、年末にメーカー各社が置いていった一升瓶の封を切り、紙コップ酒で乾杯! さあ、朝から“宴会”です。小生の職場は、お正月三が日が“無礼講”になっていました。ただし、お約束があります。「酒の匂いをぷんぷんさせても構わんが、酒が原因で客と喧嘩は禁止!」。この習慣は、アキバの小規模店舗には残っています。昔しのツクモは“七日”までが無礼講だったと記憶しています。
 
 さて、神田明神を正面から見て、その右側に「明神男坂」という急階段があることをご存知でしょうか? 明神石坂とも呼ばれています。神田明神から電気街に向かう最短距離のココは「天保初年、当時、神田の町火消「い」「よ」「は」「萬」の四組が明神へ献納した」ものです。坂上の由来に記されています。ちなみに、この坂の脇の大銀杏は、安房上総方面から江戸に向かうときの漁船の目標だったそうです。高層ビルだらけの現在では伝説に過ぎませんけれど。男坂の石段を足元に気をつけながら降りたら、斜め右をご覧ください。たぶん全国のデパ地下でお馴染みのお店がありますから。
 
昼間からおまかせコースをほうばりたい!
 それが「明神下みやび本店」。株式会社雅が運営するソコでは、デパ地下の豪華なお弁当だけでなく、昼食時には3桁出費で食事もできます。アキバで真っ当な天麩羅が食べたいというヒトに推奨します。「真っ当な天麩羅は高級料理ですからねぇ」とご心配なヒトは、ランチタイムを利用しましょう。天麩羅と寿司の丼物が食べられます。ちょっとボケた画像で申し訳ありませんが、「ミニ天丼」「野菜天丼」「いくら丼」「穴子丼」などなら3桁出費です。ランチの「天麩羅おまかせコース」を一度食べてみたいなぁと考えています。奢ってくれるヒトがいれば、付いていきます(そうだ成毛眞にお願いしようか、笑)。