2012年10月9日火曜日

両眼白内障手術後から本格的スタートの決意まで

エスパスが目立ち始めたアキバ
 Yahoo!ニュース個人のオーサーを依頼されたとき、オイラは両眼白内障の手術を前にしていました。ですから、ヤフーのNくんに、かくかくしかじかの事情があるので、手術結果が出てからの返答で構わないかとメールで打診しました。返信は「了解、快癒を祈ります!」だったのです。無事、手術を終えて、視力は回復できましたが、現在もまだ、右目が吊るような感覚が残っています。医師の指示に従って、一日に数回の点眼薬を注していますから、いずれ、この感覚が薄らぎ、消えていくと信じています。2012年はオイラにとって、いろいろと忘れられない年だったと、将来、回想するのではないかと感じています。
 
 手術後に試したことは、この目がどの程度の仕事に耐えられるのか、を試すことでした。水晶体の替わりに装着されたアクリル製眼内レンズから得られる視力は、手術前と比較したら、格段に良くなっているのですが、右目は生まれつきの眼振があり、左目は人工レンズのパワーを得ても0.1が視えません。右目はヒナタを目映く感じる状態です。現在、メガネができる日を待っています。裸眼の程度と影響を把握するために、朝のアキバを歩いてみました。勝手知ったる中央通り沿いを、万世橋交差点から末広町まで右側、さらに末広町交差点で横断歩道を渡り、またも右側を万世橋交差点まで戻るというコースです。最大級に危険なのは自転車だと分かりました。
 
 このコース、実際に試されればと分かりますが、約10分程度で済みます。いわゆるアキバと認識されている場所は、案外、狭く、中央通りをメインストリートにして、並行した道路の昭和通りと昌平橋通り周辺まで(道路を渡る渡らないはヒトそれぞれの考えがあります)が南北であり、東西は靖国通りまでとするヒトと万世橋の通りまでとするヒトがいますし、末広町交差点がある蔵前橋通りを越す越さないの主張があるはずです。もっとも、この議論、結論は出ないと思います。アキバの氏神さまは神田台地の上ですし、現金問屋さんは御徒町方向と浅草橋方向に拡大していますから。

 視力が極端に変化すると、距離感が変化して、正面から走ってくる自転車の速度を把握するまで時間が掛かります。ラジオセンター、ソフマップ、ドンキを通過したら、UDXビル側から自転車が飛び出してきました。「あぶないっ」と声にしましたが、若者はバカにしたような目で走り去りました。唐澤商店を過ぎ、構かまぼこ店の先から横断歩道を渡り、ソフトウエア興業、小諸そば、あきばお~七号店、ベルサール秋葉原、ソフマップ・アミューズメント館、オノデン、万世橋交差点と歩くうちに、徒歩の感覚が蘇ってきました。普段からペンタックスのコンデジを利用していますが、手術で獲得できた視力はコンデジレンズと似ていることが分かりました。単焦点眼内レンズは明暗を際立たせる傾向が強いんです。
 
 数日間のアキバ行を試してから、東京ゲームショウ2012の仕事を引き受けました。数年来、継続してきた仕事で、幕張メッセ近くのホテルに宿泊して、仕事の様子をお読みいただければ理解されますが、場合によっては夜中から行列撮影まで敢行することもやります。仕事を依頼してきたデスクが術後を心配してくれましたが、引き受けたからには責任を果たす、と決めました(プレスルーム内の冷蔵庫で点眼薬を収容させてもらいましたが)。目映い光対策として紫外線防止機能付きのサングラスを装着して作業開始。実際、敢行してみて、サイボーグ言成は何とかなると分かりました。
 
 今度は、Yahoo!ニュース個人で試行することにしました。新しいメディアですから、当初は、当ブログを少し、現在のアキバに近くなるように加工したものから執筆に掛かりました。担当Nくんが求めている内容を確認するかのように、書下ろしもしてみました。そして、2012年10月8日からの原稿が、Yahoo!ニュース個人での本格的スタートと決めました。現在のアキバを示しつつ、オイラにしか書けないアキバを回帰すると結論付けたのです。どれくらいの頻度で原稿を入稿するかは、まだ、眼科に通院しています身ですから決めてはいませんが。

「こんなアキバの表現方法もあるんだ!」にトライしたいと考えています。またこのブログは、Yahoo!ニュース個人の補完機能も果たしたいと考えています。私事を理由に長い間お待たせして申し訳ありませんでした。再び、お読みいただければ幸いです。

2012年4月21日土曜日

本来のアキバ系が残っている場所


秋葉原ラジオセンターこそ本来のアキバ系
 しばらくブログの更新を忘れていました。自分自身の問題で優先事項があったことが、その理由ですが、内容に関してはプライベートなことなので勘弁してください。一言、“生きる”とは大変なことですね、いまさらながら---。アキバ取材に関しては、頻繁に行っていましたが、過去の記憶を蘇らせては、アキバの今後を憂慮する自分を発見しました。不思議なもので、ココロに鬱屈としたものが出てくると、原点に帰結しようとするんですね。ラジオ会館の建物が消えている現在、そんな場所は秋葉原ラジオセンターです。茫洋と電子部品、治具、測定器などを眺めていました。

常連には数10年通い続ける人も
 ラジオガァデン、東京ラジオデパート、秋葉原ラジオセンター、秋葉原ラジオストアー、秋葉原電波会館、秋葉原ラジオ会館、ニュー秋葉原センターはアキバの原点です。このなかでも、現役にして最も活気あるのは俗に三軒並びのカイカン、ラジセン、ラジストでしょう。初めて訪れたヒトは、建物の区別をつけることは、まず、できません。アトレ秋葉原1ビルの外壁補修工事で、4月16日から一部の店舗が休業になりましたが、とくにラジセンについていえば、ココを起点にしてアキバから日本全国に拡大した企業が見られます。

 たとえば、真空管などを取り扱うアムトランスがあります。真空管=古いというイメージをお持ちのヒトがいるでしょうが、アムトランスの会社設立は1991年です。川崎市で、主に真空管輸入販売を業務とするトンガリぶりが起点でした。アムトランスがアキバに出店したのは1995年1月ですが、他に真空管を取り扱う業者が不在だったことが同社の業績の追い風になりました。東洋計測器はどうでしょう? 1951年2月にラジセンで八巻正雄さんが個人営業で始めた同社は、大学や研究機関などに計測器とその関連部品を販売するトンガリぶりで他社の追随を許しません。
ラジセン2Fはトレジャーハンターも?

 ラジセンで忘れてならないのが山本無線の存在です。山本無線CQ1店、山本無線CQ2店、ラジオセンター店、中央通り店、コトブキセンター店、山本無線電材店(工具)、山本無線電材店(ネジ・端子)、山本無線E-BOX店は古くからアキバに出入りしているヒトなら一度は立ち寄った経験があるはずです。アキバがフツーの街に近づけば近づくだけ、真空管や測定器ではないですが、ガード下の重要度が上昇すると小生は考えています。いつのまにかアキバ系といえば萌え的色彩を想起させるようになりましたが、本来のアキバ系復権を希求する自分がいます。部品、治具、測定器がなければ、半製品も完成品も作れないのですから。


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2012年4月6日金曜日

「缶’s Bar」の向こうに見える深謀遠慮

おっしゃれーな「缶’s Bar」入り口
 日本レストランエンタプライズ(NRE)が、2012年1月23日、千代田区のJR秋葉原駅総武線高架下に「缶’s Bar」を開店させました。この企画はJR東日本の社員が発案し、事業の推進まで参画する社内ベンチャー制度から誕生したそうです。場所がヨドバシアキバの中央改札寄り高架下であり、安易な献立とリーズナブルな価格帯から、小生は昭和通改札口から横断歩道を渡った斜め右2階の「百飲」を想起しました。場所的には路面店であり、実際の賃貸料がどれほどかは未調査ですが、「百飲」のような飲み屋との競合が深謀遠慮にあるしたら怖いなあと感じています。

 もっとも「百飲」は強敵です。マグロのブツ、タコブツ、鯖の味噌煮、もつ煮込み、煮物各種、おでん各種の値段が100円だけでなく、飲み物も100円で飲めるものが数多くあります。「缶’s Bar」は立地では確実に勝りますが、ココに「賃貸料がどれほどか」と小生の疑問が湧くのです。JR東日本グループ内にローカルルールがあり優遇措置があるかも知れません。それならば、まあ、好立地ビジネスも成立するはずです。もうひとつの疑問が、「JR東日本の社員が発案」という点です。フツーに読めば、JR東日本とは「東日本旅客鉄道」を意味します。どうしてNREが運営なの?

昼のライバルは近所のマックかも
 NREは、資本金7億3078万8000円、JR東日本が100%出資している大企業だから当然と考えるべきなのでしょう。第1号店となった「缶’s Bar」秋葉原店が成功すれば、同社が展開中の飲食店よろしくチェーン展開に移行するはずです。大資本のスケールメリットを活用して、既存高架下店の飲食店つぶしに走らない保証はありません。真の狙いがコレで、自社系列店舗ばかりにして、再開発事業の展開を容易にする狙いがあると裏読みしてしまうのです。そんな莫迦なと思われるヒトがいたら、同社がどれだけの飲食店を好立地で展開中か、一度、お調べください。

「缶’s Bar」では、昼はカフェタイムとして、コーヒーやソフトドリンクを提供したり、沖縄で人気の高いスパムを使用した「スパムサンド」や各種ホットサンドなどの軽食を提供するカフェバーを営業し、夜のバータイムは約40種類の缶詰、ビールやワイン、焼酎、ハイボール、地酒など各種アルコールを提供するスタンド形式のバーになります。酒肴は缶詰をそのまま提供するだけでなく、缶詰を使ったアイデア料理や枝豆などの定番のおつまみ、宮城の三升漬など東日本のご当地おつまみを提供しています。どうか小生の推察が邪推に終わることを祈ります。

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2012年4月2日月曜日

独占の毒船は浮沈艦

愛煙家には歓迎すべき場所です
 独占企業の弊害は、福島第一原発事故における東京電力の後始末が、ソレを証明しています。結果的に税金の充当で始末することになるのでしょう。日本たばこ産業(略称 JT)は、日本たばこ産業株式会社法に基づいて、1985年4月1日に設立されました。タバコの独占的販売だけでなく、医薬、食品、飲料の分野にも進出中です。JTの前身は日本専売公社であり、1985年4月1日に業務が継承されました。特別法の「日本たばこ産業株式会社法」では、全株式の半分以上の株は国(財務省)保有としています。そう、純粋には国お墨付きの特殊会社であり、純粋な意味での民間企業ではありません。案外、コレを知らないヒトは多いです。

店内では試飲キャンペーンを実施するときも
 JTに適用される“たばこ事業法”では、国産葉タバコの全量買取契約が義務づけられ、だからタバコ製造の独占を認めるとしています。まさにタバコに関しての独占企業ですね。JTでは、ソレだけでは喫煙者が減る一方で、高給を維持できません。だから、医療、食品、飲料などにも進出しています。背中に国があるならば、激安商品を出して民業を圧迫することもできそうですが、わはは、さすがにそんなえげつない手法は取っていません。結果、全売上高の7割以上はタバコに依存しています。タバコ事業は海外に進出もしていますが、税収確保のために簡単に値上げするように、赤字事業になったら税金で補填されますよ、きっと。

中央通りを眺めながらぷか~もオッケー
 1999年にR.J.レイノルズ・タバコ・カンパニーの子会社RJRインターナショナルを買収しJTインターナショナルを設立しました。同社を含めた販売シェアは世界第3位で、2007年には英ギャラハーを買収して世界2位のブリティッシュ・アメリカン・タバコに迫りました。JTの収益は、もはや海外消費の上昇で賄っていると言えそうです。JTの2010年の売上高を見ますと、食品が19.9%、国内たばこが31.1%、海外タバコが45.8%、医療が2.2%です。民業との競争では、成功しているとは言えないようです。2001年までの「バーガーキング」はJTの武士の商法でコケて、ロッテリアに買ってもらったくらいです。

 画像にあるように、アキバの中央通りには「SMOKING ROOM」があり、お隣りのマッドのMCが自動ドアが開くたびにノイジーですが、路上喫煙罰金のアキバですから、愛煙家には歓迎すべき場所です。JTのサービスと言えばサービスでしょうが、なあに、この程度はやって当然と小生は指摘します。純粋な意味での民間企業ではないJTは、愛煙家から“見えない税金”を収奪している元締めであり、社員の平均年収はトップクラス。天下り先を作り日本全国のたばこ自販機にタスポカードを導入させるという身勝手システムの暴挙も実施しました。“有害品”を販売しても罰せられないこと、原子力発電所がバラ撒いた放射性核種と同質です。独占の毒船は浮沈艦のようです。


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2012年3月29日木曜日

転んでもタダでは起きない

秋葉原という場所は商売になるのでしょう
 アキバには転んでもタダでは起きない経営者が現れる街の顔もあります。2008年6月6日に他界された“本多のおやじ”こと本多弘男さんは、かつて東京ラジオデパート地下で「本多通商」を営んでいました。まだマイコンが登場する前で、アキバは音響と無線のマニアに支えられていたホビー街でした。すでに電気街としてのアキバは知られていましたが、現在の秋葉原ラジオセンターに集う方々と同じような趣味を持つ方々は、パソコンを自作するよりも高度な手作業に熱心だったのです。そこに登場したのがマイコンです。マニアたちは、即、飛びつきました。同じ時期、ゲジゲジを取り扱うショップも急増しました。

自己責任購入キーボードもこの値段です
 ワンボードマイコンなどの登場は本多通商にも影響を与えます。おそらく、おやじ自身も何に使うか不明なモノを、界隈の商社から仕入れては、堂々と陳列していました。マニアたちは英語専門誌で得た知識を持ち、その不明なモノを購入するのでした。「そんな、無責任な」と考えてはいけません。陳列するのはショップの自由ですし、購入の判断は自己責任が基本なのですから。後に「ぷらっとホーム」を上場させた本多通商の原点です。ツクモ、亜土電子、千石通商などは、「分かるヒトだけ買ってくれれば良い」で商売していた面があったと指摘しておきます。同時期、電気街に紙爆弾を落とすショップが誕生しました。ソレが寺田由雄さんが行徳で立ち上げた「ステップ」です。

雑貨だって取り扱っています
 1980年に法人化したステップは、倉庫のような店舗に在庫を積み、小型商品は客がレジで会計、大型商品は型番を店員に伝えて販売という、現在ではお馴染みのスタイルを確立した功績があります。コストカットを徹底し、その実売価格を雑誌広告で煽ります。アキバに進出したステップは、驚くべき実売価格を記載したチラシを駅前で撒きました。コレに怒ったのが秋葉原電気街振興会の幹部たちです。電気街と取引する販売会社に抗議する一方、某店の幹部は、共存共栄のための話し合いに同店を訪れます。返答は「日本は自由主義経済だ、帰れ!」とバット送迎のおまけがあったとか。

以前、つぶやいたロック製菓と同じビル
 薄利での大量販売は、小売店を急成長させる要素ながらも、自転車操業というリスクが待っています。ソレはそうですね、大量注文されたら、その資金繰りが大変です。キャッシュがあるから取引先は商品を卸すのです。結果、1994年あたりからステップは赤字経営に陥り、通販購入者に代金前払いさせながら、運転資金にして商品調達する綱渡りの果てに、1996年9月20日に千葉地裁に和議申請し倒産しました。負債総額は70億円でした。日本の経営者は、こうした巨額負債を抱えると、まず落ち込むものですが、寺田由雄さんは心臓には毛が生えているのでしょうか、1998年7月、新規に法人を設立しました。

 ステップの「5つのNO!」は現在でも話題になるときがあります。「説明しない」「展示しない」「交換しない」「解約しない」「無料サービスはしない」がソレです。おやじは愛嬌ある会話をしながら、同様なことをしていましたが、ステップはドライに宣言したから可愛気がありません。寺田由雄さんがステップ倒産後に作った会社は、「常にお客様の立場で考え、お客様の納得頂ける価格とサービスをご提案できるよう、「JustPrice」をテーマにweb通販ショップ、秋葉原の中古PCショップ・アウトレットショップと多角的に展開して参りました」と会社紹介しています。あれれ、アキバにそんな店舗があったっけ。はい、コチラをご覧ください。複数店あります。


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2012年3月23日金曜日

本当に不況だと分かるアキバ光景


「小諸そば」や「富士そば」に
追いつけるか「かむら」はツクモ近く
「アキバで働いている店員さんは、どこで昼食をとっているんですか?」とたまに質問されます。この正答って案外難しいんですよ。小規模店・専門店・家電量販店などの電器関連店だけでも、それぞれ空き時間が違いますし、集客の状態は毎日変わります。小生の経験では最短10分、最長60分ですね。最短10分は「小諸そば」で箸を数回上げ下げしていたら、部下に見つけられ、「お得意さんがお待ちなんですが」。セルフサービスのお盆の上に、まだ食べてと願うかき揚げ。後ろ髪をひかれながら、お得意様の前に出れば、「お待たせしました!」と、明るい声を出しました。

 過去、鈴木慶さんが社長時代のソフマップの店員は、ケータイがつながらない地下の飲食店での食事休憩を禁止していました。現在はどうでしょうか? ケータイかスマホを誰もが持ち、通信状態が悪い場所も急減しています。某メイドカフェは“つながりにくい”ことを売りにするくらいです。じっくりと休憩したい店員のなかには、確信犯も生まれます。「おかしいなあ、ちゃんと電源を入れてーーーあっ、切れてました」「あっ、すいません、ロッカーのなかに忘れてきたようです」という具合です。弁当派の店員も結構いて、不況で増えているのが自作弁当派ですね。

「箱根そば」は昭和通り側、
ヨドバシアキバの店員も利用
 アキバの路地裏には、まるで家庭の台所で作ったと思えそうな弁当を販売するお店もあります。「繁栄堂」がソコですが、ネットで検索することなく、ココに到着できるなら、アナタの外神田スキルは相当に高いと認めます。外神田や佐久間町には、多忙な店員の要望に応えた弁当店が結構ありますが、店員が顧客になる前に“やっちゃば”(神田青果市場)時代のお得意さんに対応していた時代がありました。パーツ通りの過去を探れば、やっちゃばの出入り業者たちの倉庫兼事務所跡が数多いのです。興味ある方は「東冷ビル」のように、建物名から連想する手もあります。

 クロスフィールドで働くエリートビジネスマンと思しき方々も、この時代、財布の中身は寂しいのでしょう、アキバイチの各店よりも安く食べられるお店で見かけます。あの「かんだ食堂」前に、スーツ姿の皆様の行列ができるとは。「日本経済の現実を象徴している姿だナ」と小生はアキバ田代通りの路上で慨嘆します。テレビ価格の下落と足並みを揃えるかのように、収入が激減してきたヒト(わはは、オレのことか)は数多いはずです。いいじゃないですか、「いつか丸五で食べられる日も来るさ」と居直り、冨貴や和幸でも贅沢、昭和食堂の弁当でも満腹になれるわい。ちなみに農水省食堂「日豊庵」の国産そば粉を使った"もりそば"の値段をご存知ですか? はい、200円也! 官民格差の昼食模様の典型例ですね。


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2012年3月19日月曜日

徒歩数分内にこんなにもスタジオが

中国にも「けいおん!」ブーム到来かも
 アキバと音楽というと、この手で歴史あるお隣りの御茶ノ水との比較から、なんか希薄と感じるヒトがいるでしょう。ところがですね、画像の「LAOX MUSICVOX AKIHABARA」にはスタジオ設備がありますし、オーディオショップとて数多くありますから、当然ながらレコーディングスタジオ設備まで用意しているショップもあります。もっとも、その多くは電気街改札口方面でなく、昭和通改札口を利用しています。明らかに楽器と分かるケースを抱えたグループを、昭和通り側の横断歩道周辺で見かけられるでしょう。ポップなファッションを観察することができるはずです。


アキバ 音楽館」の場合、Marshall JVM210Hを設置して、結構な人数を集めてのスタジオライブも可能です。「アキバ×ミュージック」を目的とするヒトにとっての聖地は、「IKEBE G-REC STUDIO」ではないでしょうか? 「イケベで一発取りしてレコーディングさ」「なあに、このメンバーならちょろいもんさ」などと語らいながら横断歩道を渡ってから、和泉橋方向に向かうバンド野郎たちの声も聴きました。イケベは「STUDIO REVOLE Part 2」もあり、プロのエンジニアも常駐しています。「けいおん!」ブームにもしっかりのって、ドラムスティック"田井中 律モデル"なども販売しています。


アキバ×バンド=IKEBEかも
 まさかアキバに都内最大級のリハスタに、セルフREC専用ルームがあるなんて、とコレもアキバという街の奥深さです。バンドやってるなら、激安デイパックやオールナイトパックで、その世界に没入されてはいかがでしょうか? その他、「STUDIO NODE 秋葉原」「SOUND STUDIO PRIME」と、スタジオのそれぞれは、ネットカフェをアメニティから選択するよりも厳しい観察眼で選ばれています。ちなみに知人の子供は「けいおん!」からバンドにハマり、アキバは昭和通り側とヨドバシアキバに出没するようになりました。そう、コレこそがコンテンツの強みというものです。
 
「LAOX ミュージックボックスアキハバラ」はラオックス自体が中国の家電販売企業「蘇寧電器」の傘下に、実質、2009年6月に入りました。2009年8月には羅怡文さんが代表取締役社長に就任し、免税店を主体に事業を推進する旨の発表をしていますが、どうして、一人立ちしたコンテンツは世界の共有価値に転じます。2010年6月には、中国上海に楽器専門1号店「MUSICVOX遠東店」を新規オープンさせましたが、このノウハウは、まさにアキバのソレの踏襲です。パソコンシーンのリーダー的存在だったラオックスが、中国系企業だとしても、アキバを盛り上げることに積極的になって欲しいと考えています。中国版「けいおん!」は、あは、きっと登場するのでしょう。



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