2011年11月27日日曜日

BOSE去ってテルル来る


ピンクで独自カラーを訴求しています
 中央通り沿いにBOSE直営のホームシアター・デモルーム兼セレクトショップができたのは2005年9月1日のことです。当時は地デジ対応大型液晶テレビ普及機であり、このキーワードをエポックに販促を目指したショップが目立ちました。ソフマップは専門店を運営していましたし、ヨドバシアキバでは各メーカーが競い合って、ホームシアターを展示していました。そんなBOSEショールームが閉店したのは、地デジ完全移行を確認した、2011年7月31日です。アキバの中央通り沿いといえば家賃の高いことで知られていますが、閉店の跡はどこが来るのかと、興味深く見ていました。


 旧知店員と、「来るとしたらケータイ系だよね」と話していたら、8月上旬に「テルルモバイルNeo秋葉原店」が出店する情報が伝わりました。開店日の2011年8月20日も、すぐにアキバ中に知れ渡りました。ピーアップ が運営するテルルは、2011年3月末日現在、テルル直営店を36店舗、専売店を40店舗の合計76店舗だけでなく、テルルFC店を48店舗、代理店を5店舗、専売店を18店舗の合計71店舗、総計147店舗を有しています。アキバの老舗は外部資本の流入から、どんどん疲弊していますが、テルルのアキバ参入に、老舗ケータイ店は奮起せよと記しておきます。
 
テルルを説明してくれました
 ビジネスの世界は出店・撤退の繰り返しです。戦後からアキバに営業していた老舗が撤退した理由は、外神田の“井の中の蛙”だったことが大きいと思います。テルルは目立つピンクの看板から、集客力にパワーを注力していると分かります。どこにでもあるドコモ、au、ソフトバンクと距離を置いたブランドカラーです。なるほど、店内を見学すれば、魅力的な価格設定だらけです。ご存知かと思いますが、テルルとは放射性核種名です。「どうしてこの名前を採用したの?」店頭で不躾な質問をしてしまいました。店頭スタッフは、「テルルは原子番号52ですから、それ以上の店舗を出店したいとの社長の考えからです」と笑顔で回答。


 こういう笑顔の対応ができるショップは強力です。ちょっとしたことでプイっと頬を膨らます表情を作ることは、接客業として厳禁です。そんなアキバの老舗店だと思ったら、改めて奮起しなさいと言わせていただきます。画像は同店の許可を得て撮影させてもらいました。また訪問したら、いろいろな情報を教えてください。




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2011年11月18日金曜日

見た目は街中の蕎麦屋だとしても


見た目は街中の蕎麦屋さんですね
 以前、アキバで食べる蕎麦(そば)は、ザ・コン(現アキカル)隣りにあった「志な乃」でした。ココが九段下に移転した後は、少し歩いて「藪蕎麦」か「神田まつや」に通っていました。小生は麺好きなのですが、ラーメン、パスタ、饂飩(うどん)などと比較したとき、蕎麦は別物と考えています。大体、新蕎麦の季節はあっても、ラーメンの季節はありません。しかも、食べるのは“もり”か“せいろ”と決めています。いわゆる“タネもの”は食べません。冬でも冷たい蕎麦を手繰り、たっぷりの蕎麦湯を飲みます。新蕎麦の季節は、その年の自然環境で決まります。
 
蕎麦打ち部屋があります
 新蕎麦は産地によって出回る季節が変わります。多分、一番早く出回る新蕎麦は北海道・幌加内産のものでしょう。コレが9月上旬に出荷され、音威子府(オトイネップ)など北海道各地の新蕎麦が市場に出回り始めます。通常、新蕎麦というのは、10月に収穫される秋の新蕎麦“秋新”を意味します。コレしか採用しない蕎麦屋が数多くあり、乾燥された玄蕎麦が、10月下旬あたりから提供されるようになります。同じ時期に長野、茨城、栃木、福井、石川、徳島、宮崎などの蕎麦も収穫され、市場に供給されます。イマの季節は秋新の最盛期だと言えるでしょう。
 
 玄蕎麦(黒いカラの付いた蕎麦の実)は埃、土、小石などを除き、石臼で製粉します。先ほど、「藪蕎麦」「神田まつや」はご案内しましたが、現在、小生がハマっている蕎麦屋は、アキバの昭和通りを上野方向に向かって、進行方向右側にある「あきば」です。ココは一見すると、ただの街中の蕎麦屋のようにしか見えません。持つべきものは友です。ココを教えてくれた友人が、「11月に入ると、戸隠産の秋新の十割蕎麦を出してくれるよ」と囁きました。値段を訊いたら、今年は600円だそうです。もちろん手打ち・機械切りです。蕎麦を知るヒトならば、出かけたくなります。
 
タネモノ好きなら鴨南蕎麦をどうぞ
 で、行ってきました! まともな蕎麦は原価が高く、量が少ないというご時世ですが、「あきば」のソレは、量もあり、薄緑色が恍惚感を与え、噛めば滋味のある甘さが現れ、喉越したるや幸福愉快です。「よく600円で出せますね」と店主に問えば、「はっきり言って赤字です。もう少ししたら二八にすると思います」と話されました。ニ八だとしても、多分、まともな蕎麦屋で食べたら千円以上はするでしょう。ちなみに戸隠の秋新は、入り口にある食券機でなく、店主に直接お金を払って注文します。アキバで「あきば」の新蕎麦、楽しんでください。


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2011年11月15日火曜日

トヨタ×ユニクロ×コトブキヤ


知れば知るほどコトブキヤ
「壽屋」と書くよりも、アキバで同店を知ったヒトたちは「KOTOBUKIYA」と表記したほうがピッタリするかも知れません。戦後の1947年6月、清水一郎さんが立川で玩具店を開きました。当時は日本中が物資を求める時代でしたが、子供向けの玩具も同様で、戦災で焼けてしまったソレを、子供を愛する保護者たちが求めました。「昔しは、日本中から買い付けに来ていたよ」と教えてくれたのは、蔵前にある玩具問屋「久保商店」のご主人(故人)でした。そんななかに、1953年1月に有限会社を設立した壽屋・代表取締役清水一郎さんもいたのではないでしょうか。


 違うね、「KOTOBUKIYAじゃなくてコトブキヤ」と指摘されるヒトは、古くから同店に通っていた立川周辺の方だと思います。ご指摘の通りで、1967年6月に立川の第一デパートに人形と玩具「壽屋」(現在の「コトブキヤ 立川」)を開店しました。商号はずっと使われていたのですが、日本人が母国語で多用する漢字を読めなくなり、店名を「コトブキヤ」に改称したのが1981年7月のことです。同店の先見性は、1983年7月に通信販売事業を開始したことからも分かります。親のDNAは二代目社長清水一行にも継承されました。1986年6月に就任された二代目が始めたのは自社商品の提案です。1989年7月、完全可動式のモデルキットを発売。まさに、メーカー入りです。
   
店頭効果もコトブキヤ
 以後、『新世紀エヴァンゲリオン』キャラの「綾波レイ」「エヴァンゲリオン初号機」を立体化、フィギュアブームを起こしました。さらにトイブランド『ARTFX』を立ち上げ、「ファイナルファンタジー」などソフビやPVC製スタチュー商品も展開します。2000年3月にはKOTO INC.を米国カリフォルニア州に設立しています。多店舗展開は「コトブキヤ 日本橋」翌年から開始。映画『スター・ウォーズ』関連商品も展開。ラジ館の「コトブキヤ ラジオ会館」ができたのは2004年6月で、話題キャラの立体化が得意技になりました。ラジ館上層階にあったコトブキヤが1階に増床した2006年12月には、電気街を電気外させたショップの代表格と認識されました。
 
パープルガシャポンコトブキヤ
 現在の「コトブキヤ秋葉原館」が開店したのは、今年の3月のことです。ココは「LAOX Mac館」から「ジーンズメイト秋葉原店」に転生した後の姿です。コトブキヤは、すでにグローバル企業だと指摘できるでしょう。中国工場が既にありますし、『スター・ウォーズ』のキャラ「C-3PO&R2-D2」立体化で、スター・ウォーズオフィシャルサイトから“Best of 2006”を受賞しています。「TIME(US版)」のHALO特集号でも、同社立体キャラを取り上げられ、2010年12月にはワーナーブラザーズ最優秀ハードライセンス賞を受賞しています。トヨタ、ユニクロ、コトブキヤが世界60か国のなかから、5部門中3部門を受賞したのです!


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2011年11月13日日曜日

「だるまのめ」とラーメンビジネス


豚骨ラーメン「だるまのめ」秋葉原店
 アキバに飲食店が急増したのは、秋葉原再開発と無関係ではありません。アキクロの完成は、アキバに出入りするヒトの数を増やしました。“ホントかよ”と疑義を呈するヒトは、JR「秋葉原」駅の乗降客数 を調べてみましょう。JR、東京メトロ、都営地下鉄、TXなどを使ってアキバに出入りするヒトの総計は一日あたり25~30万人程度と推察しています。コレだけのヒトの胃袋をビジネスチャンスと考えたフードサービス業者は数多いことでしょう。20世紀のアキバは外食する場所の少なさを嘆きましたが、21世紀に入ったアキバは飲食店の選択肢の多さに戸惑うことでしょう。
 
昼食時は行列覚悟です
 アキバをラーメンやカレーの激戦区のように表現するメディアがあります。ご指摘通りで、その数は21世紀に急増しました。外食チェーンの「ユウシン」が運営する「だるまのめ」秋葉原店も、そんななかの一軒です。ユウシンはココ以外にも、「どんどん」、「鉄板王国・ステーキ王国」をプロデュースしています。同店がアキバにオープンしたのは2003年8月で、それ以前は牛丼屋「とんとん」でした。アキバを驚かせたのは、オープン当初にできた長い行列で、アレから8年目を迎えた今日も、昼食時に行列を作らせるのですからから、出店は成功だったといえそうです。


大きな提灯が目印です
 飲食業界には「粉屋は儲かる」なる言葉があります。ラーメン店も“粉屋”であり“成功すれば”低原価で高収益を得られるとの指摘があります。飲食店ビジネスは客数と回転率とオペレーション速度で決まります。あれれ、「味」は? もちろん、味は料理の基本ですが、味で勝負するラーメンはホンの一部です。築地市場に行って、業務用のラーメンスープ、プロ仕様旨味調味料を使えば、後はトッピング具材次第だとか。東京の8割のラーメン店は、そんなお店と指摘する業界通を知っています。「だるまのめ」は、激戦区で生き残っていることからして、真っ当な2割に属するのでしょうね。



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2011年11月5日土曜日

二世代マニアがアキバで燃え上がる!

もはやアキバ名所に仲間入りしています
 バンダイが「機動戦士ガンダム」情報の発信カフェ「GUNDAM Cafe」をアキバにオープンさせたのは2010年4月24日のことです。JR「秋葉原」駅の電気街改札口から徒歩1分の場所で、144平方メートル・60席の店内とグッズ販売コーナーがあるとレクチャーすると、「あんな高い家賃の場所で経営が成り立つんでしょうかねぇ?」と、某店店員は声を出しました。開店初日、既存のアキバ脳の持ち主たちは、口をあんぐり。「行列の最後尾がUDXビルの地下駐車場前あたりまで伸びていました」と、衝撃を受けたのでしょう、興奮気味に話しました。キャラクターの一人立ちは強いのです。


バンダイの経営にも貢献する英雄
  カフェ内では、ガンダムシリーズの重要拠点ジャブロー付近で採れたという前提で、南米のコーヒー豆を使用し、専用ブレンドした「ジャブローコーヒー」などのドリンクメニューやシャア専用ザクをイメージしたパスタなど、ガンダムマニアのハートに響かせます。また、1980年に発売されたガンプラ第一号商品プラモ(1/144スケール)がモチーフの「ガンプラ焼」だけでなく、いわゆるガンダムグッズ類も数多く取り揃えています。当初、目標年商2億円と発表しましたが、小生の推測では、半年程度で、ソレをクリアしたと思います。燃え上がったマニアは聖地の巡礼を繰り返すものです。キャラビジネスの典型的成功事例です。


限定グッズを真剣に吟味する
  ガンダムの世界観にどっぷり浸りたいヒトなら、曲線を多用して近未来的デザインされ、各所にガンダムの情報スペースがあるだけでニコリでしょう。しかも、劇中の登場人物をイメージしたユニフォーム着用の女性スタッフが接客してくれちゃうのです(感動しましょう)。小生が店内で「ハロ ラテ ミルク」を飲んでいた日は、目の前にいた父子は、「赤い彗星」と「シャアザク・ライス」で食事していました。なんじゃ、それは、と思ったヒトは、実際にアキバで味わってください。味はご自身の舌に体験させるに限ります。「機動戦士ガンダム」マニアが二世代に継承されていると確信した瞬間です。きょうも行列ができるでしょう。


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2011年11月4日金曜日

繁華街で根強く生き続けられる古典ビジネス

なんだか分からないけど楽しい入り口
 浅草の仲見世通りには、おみやげさんが多数並んでいます。東京タワーやアキバの免税店のおみやげ売場にも共通していますが、あの無理なディテールの文鎮を、子供の頃に欲しがっていたことが記憶の片隅にあります。どんなディテール? はい、富士山の横に東京タワーが立っていて、その前には新宿の高層ビルがあり、新幹線が走っているといった奇天烈です。外国人観光客のために日本のシンボル的なモノの“ごった煮”を作ったのですかねぇ。ヨドバシアキバの免税品コーナーでも類似品を見つけることができるでしょう。


外国人が好きそうなTシャツ
 JR中央・総武線「水道橋」駅東口改札口を出て左折すると、神田川を渡るコンクリート橋があります。橋を渡り外堀通りを左折したノナカビル2Fに、1995年7月、チケットショップ「大黒屋」水道橋店ができました。同年10月、同店店長の野中靖史さんが、ココを本社に株式会社野中を設立しました。大黒屋のノウハウを吸収したからでしょうか、2000年8月、大黒屋のフランチャイズを卒業して、野中さんは同じ場所を「神保町チケット」に屋号を変更します。また、このビルを取得して、2000年12月、株式会社野中が誕生させました。


 小生は同ビル1Fに、2001年3月まで、たこ焼き屋「京たこ」があり、その後、「たこ坊」になったことを知っています。ビジネスは成功続きのようで、2002年12月、アキバにチケットショップをオープンさせました。コレが「チケット太郎」です。アキバで駅至近のチケットショップならば、まず、ココです。2004年7月、チケット太郎の階下、つまり1階に雑貨店をオープンさせました。現在に至る「わくわく太郎のよろず箱」の開店です。このビジネスは外国人観光客に受け、2004年8月、水道橋の「神保町チケット」内にもわくわく太郎のよろず箱を設けるようになりました。


小生も買おうと思ったくつした
 電脳街の衰退期のアキバは、バブル崩壊で傷ついた老舗だらけとなり、ソコに消費不況、デフレ不況、円高不況が鎮座しました。アキバのあちらこちらで、ショップのガラポン状態が続き、脱電器製品の様相が見られ、さらに異業種の流入が相次いで起きました。ヨドバシアキバという黒船の急襲は、アキバの老舗に別離を告げさせる決定打でした。中央通りと明神下通りの交差点にも、チケットショップ「大黒屋」もできています。この古典的ビジネスは、利幅は薄くとも在庫の換金化が容易なので、繁華街で根強く生きぬくことでしょう。


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