2011年12月25日日曜日

アキバ老舗の跡形はありますが

以前は半地下に歌う志村店員が働いていました
 ラジオ受信機、無線通信機部品の卸商「志村商会」が、東京市(当時は「市」だったの)浅草区永住125番地に誕生したのは1930年2月です。1938年11月に、志村商会の製造部門である「志村無線工業所」が「東京都足立区千住緑町2番地」に設立されました(今度は「都」になっていますが、コレは志村無線のHPを史料にしたからで「都」の発足は1943年です、ご留意を)。その1943年、軍需増大を目的に志村無線工業所は志村無線通信機に改組します。1945(昭和20)年の3月に、B-29が東京中に焼夷弾をバラバラとまき散らしました。志村無線工業所も事業所を焼失させられます。

一瞬、何じゃコレと思わせます
 終戦を迎えた同年11月、千代田区神田五軒町8番地で、志村無線通信機の再建に着手します。翌年3月、志村無線電機に社名変更して、いよいよアキバの老舗としての志村無線が飛躍を始めます。同社が千代田区外神田に移転してきたのは1956年2月のことです。本来ならば戦前から経営してきた老舗なのですが、アキバでの営業は、同業他店よりも遅くなってしまったのです。ソレでも戦前からの信用がありますから、アキバで業績を上げ、1962年1月、本社屋(地下1階、地上6階、延べ250坪)を竣工しました。1981年4月、社主の志村義雄さんには、サマザマな肩書が付くようになります。国から勲章も頂戴しています。

実物大では、当然ありません
 全国電子部品流通連合会々長、秋葉原電気街振興会会長、全国電機卸商組合連合会常任理事などに就任した頃、日本のバブル経済が崩壊します。現在の日本経済に、未だ悪影響を及ぼしている旧大蔵省の無能金融政策は、外神田の一等地にある志村無線本社ビルをテナントビルに変貌させました。1995年7月、コーヒーショップ「Cafe MOCO」が開店します。志村無線はケータイビジネスやネット通販に参入しますが、従来のリアルショップの慣習を抜け出せない状態を続けています。このリアルとバーチャルの切り分けの拙さは、歴史の重みを背負う老舗各店が陥りがちです。過去が現在を縛ります。ECショップのドライなノウハウに従いましょう。
 
 2005年9月、本社ビル1階に「BOSEショーケースストアー」が開店しましたが、小生ブログにあるように、現在はソレも閉店して、2011年8月に「テルル ネオ秋葉原店」となりました。そして同店の横には、巨大なチュロスが目印の「Cafe MOCO」が健在です。初めて入店されたヒトは、ホットドッグセットをオーダーしてみてください。値段を見て、「ちょっと高いよ~っ」と感じるはずです。たぶん、ソコではフツーのホットドックをイメージしたのだと思います。わはは、やってきた相手はフツーを超えています。このお店は、良い意味でイメージを覆してくれるのです。体感してください。

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