Webライター島川言成のブログです。2012年8月に両眼白内障の手術を受け、手負いながらもあちこちに出かけています。多くは地球の中心・アキバですが、東京のココ・ソコ・アソコに出没して、日本の将来を見透かす魂胆があります。アキバ路上に、突如、現れる怪しいお店から、豪華客船のようなヨドバシアキバまで、転生都市との交際は続行します。怠惰な営業を殲滅する市場原理の体感者は、たまに乱暴な言葉を使うこともあります。まっ、ご容赦をお願いします。ご感想は読む機会の多いFacebookにお書きください。この名前で検索できます。
2010年7月15日木曜日
未来都市?
マイクロソフトが品川で「2011年度経営方針記者会見」を開催した日に撮影した画像です。正直、JR「品川」駅が、こんな未来都市に変貌していることに驚嘆しました。東京って数年間立ち寄らないでいると、別の街に来たオモムキに出くわすことを実感しました。都市に体重があるとしたら、東京のソレは江戸末期からどれだけ増やしたのでしょうか。石造りが当然だった西欧と違い日本の場合は紙と木でできた建物が一般的だったはずです。
明治に入り欧化主義者たちが煉瓦作りの建物を作るようになります。でも、それは東京や横浜などの、ほんの一部の地域に過ぎません。何故、それが分かるかといえば、B-29が焼夷弾をばら撒いたことでも分かります。日本の家の大半は紙と木でできている。焼き払ってしまえとヤンキーたちは考えたとか。東京の高層化が本格的に始まったのは、朝鮮戦争の後になってからでしょう。多分、東京五輪あたりから体重が急激に重くなっただろうと思います。
JR「品川」駅には、山手線・京浜東北線・東海道線・横須賀線のホームがあり、構内の駅ナカ施設は、都内でもっとも早くから設置されていました。現在は「ecute 品川」「Dila品川」があり、以前、コチラのほうは取材しました。通常路線のホーム以外に臨時ホームもあります。東海道線・横須賀線の早朝・深夜の品川発着列車、品川終着の「湘南ライナー」などが使用しています。話は違いますが、「品川」駅が港区にあり、「目黒」駅が品川区にある話で盛り上がったヒトもいることでしょう。
小生を驚かせた、画像にある品川駅東西自由通路の正式名称は、「レインボーロード」です。以前の品川駅は東側と西側を行き来するのに、品川駅を大きく迂回する必要がありました。それが、1998年11月1日に歩行者専用の通路ができて、利便性が飛躍的に向上しました。幅員は20mで、24時間通行可能で駅施設(駅ナかは別ですよ)ともつながり、東口地区との距離をぐっと縮めました。デジタルサイネージが未来都市のイメージを膨らませてくれます。
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