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| ピンクで独自カラーを訴求しています |
中央通り沿いにBOSE直営のホームシアター・デモルーム兼セレクトショップができたのは2005年9月1日のことです。当時は地デジ対応大型液晶テレビ普及機であり、このキーワードをエポックに販促を目指したショップが目立ちました。ソフマップは専門店を運営していましたし、ヨドバシアキバでは各メーカーが競い合って、ホームシアターを展示していました。そんなBOSEショールームが閉店したのは、地デジ完全移行を確認した、2011年7月31日です。アキバの中央通り沿いといえば家賃の高いことで知られていますが、閉店の跡はどこが来るのかと、興味深く見ていました。
旧知店員と、「来るとしたらケータイ系だよね」と話していたら、8月上旬に「テルルモバイルNeo秋葉原店」が出店する情報が伝わりました。開店日の2011年8月20日も、すぐにアキバ中に知れ渡りました。ピーアップ
が運営するテルルは、2011年3月末日現在、テルル直営店を36店舗、専売店を40店舗の合計76店舗だけでなく、テルルFC店を48店舗、代理店を5店舗、専売店を18店舗の合計71店舗、総計147店舗を有しています。アキバの老舗は外部資本の流入から、どんどん疲弊していますが、テルルのアキバ参入に、老舗ケータイ店は奮起せよと記しておきます。
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| テルルを説明してくれました |
ビジネスの世界は出店・撤退の繰り返しです。戦後からアキバに営業していた老舗が撤退した理由は、外神田の“井の中の蛙”だったことが大きいと思います。テルルは目立つピンクの看板から、集客力にパワーを注力していると分かります。どこにでもあるドコモ、au、ソフトバンクと距離を置いたブランドカラーです。なるほど、店内を見学すれば、魅力的な価格設定だらけです。ご存知かと思いますが、テルルとは放射性核種名です。「どうしてこの名前を採用したの?」店頭で不躾な質問をしてしまいました。店頭スタッフは、「テルルは原子番号52ですから、それ以上の店舗を出店したいとの社長の考えからです」と笑顔で回答。
こういう笑顔の対応ができるショップは強力です。ちょっとしたことでプイっと頬を膨らます表情を作ることは、接客業として厳禁です。そんなアキバの老舗店だと思ったら、改めて奮起しなさいと言わせていただきます。画像は同店の許可を得て撮影させてもらいました。また訪問したら、いろいろな情報を教えてください。
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| 食べ始めるとクセになります |
秋の新栗は旨いですよ。アキバに数多くの老舗があることは、当ブログでもご案内していますが、1914年創業(出典は甘栗太郎のHPですが、コレは北澤重蔵さんが創業された甘栗太郎本舗まで含めていると思われます)の「甘栗太郎」も、そのなかに入るでしょう。あれれ、そんなお店あったっけと思ったヒトは、アキバの中央改札口を出て、ヨドバシアキバに至る横断歩道をとことこ。店内に入らず、空母ビル沿いに右に歩いてください。ほらほら、正面に見えてきたビルの一階に。ねっ、見つかったでしょう。階上はクリニックばかりがテナントです。「味よし、艶よし、風味よし」がモットーの甘栗は、食べ始めるとクセになります。
3つのモットーの、どれが欠けても「甘栗太郎」の甘栗じゃないとか。だから、一店舗一工場が基本で、いつでも焼きたて新鮮な旨さになるそうです。甘栗は、天然由来の食物ですから、身体に悪影響を及ぼす添加物や保存料などを、一切使用しないのが本筋です。もっとも、最近は、スーパーなどでも販売していて、食するに便利な殻なし甘栗があります。あの袋を手にとって、裏側を凝視してみてください。まっ、厚労省から指導されないのですから、安全は安全なのでしょうが、「甘栗太郎」とは、一線を画した食べ物です。老舗は高らかにソレを訴求しています。
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| 秋は新栗の最盛期です |
「甘栗太郎」創業者の柴源一郎(1917~2005年)さんは、茨城県下館市(現在は筑西市)の農家出身です。大学卒業後に中国へ渡り、甘栗太郎の前身「甘栗太郎本舗」に入社。輸送技術が未発展の当時、産地での甘栗の買い付け、天津港への集荷と積み出しは、大変だったと推察されます。中国河北省の甘栗の産地まで奥深く出かけて買い付けていましたが、第二次世界大戦の影響から、栗の貿易量はどんどん収縮します。輸入量が激減したので、朝鮮半島の平壌栗まで、輸入販売していた時期もあったようです。この状況は、戦後、中国との甘栗貿易が再開される1949年まで続きます。
柴源一郎さんは、帰郷して農業経営をしながら、小豆相場で活躍していました。この頃の相場師ぶりは、小説家・梶山季之が「赤いダイヤ」に執筆しています。そう、モデルは「甘栗太郎」創業者だったのです。甘栗の輸入再開を見て、小豆取引を止め、本拠地を神田青果市場に近い場所に移転します。1956年、「株式会社甘栗太郎」が創業され、本格的に甘栗の売買に着手しましたが、1958年に中国の国旗を引きずりおろして踏みつけた「長崎国旗事件」が発生。貿易と文化の交流が途絶え、会社は倒産しそうになりました。相場師人脈がココで生きます。
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| いかにも商品に自信ありの笑顔 |
柴源一郎さんは甘栗の輸入再開を、当時の通産大臣に掛け合い、「政治と商売を切り離して考えて欲しい」と直談判。その結果、栗は友好“配慮物資”に指定され、貿易を再開できました。「甘栗太郎」は、最盛期、全国に40店舗以上もありました。現在は7店舗体制ですが、本社は四谷にあり、アキバの「甘栗太郎」は、創業地となりました。ちなみに、墨田区亀沢で創業した「イシイの甘栗」という、やはり甘栗小売店があります。コチラも天津港から荷積みされた甘栗が原料です。そう、甘栗を天津甘栗と呼びますが、ソレは港の名称だったなのですね。