明治時代は何がなんでも欧米化時代でした。カレーライスも明治の日本に、西洋から伝わった洋食でしたが、日本人の主食はコメでしたし、インドのような手づかみで食べる習慣もありません。結果、平皿にライスを盛って、カレーソースをかけたものを、スプーンで食べるスタイルになりました。高級店ほどカレーソースとライスが、別々の器で供されがちです。ちなみに1863年、訪欧した日本人は、インド人が、「飯の上へ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻き回して手づかみで食す。至って汚き人物の物なり」と書いています。当時の日本人のカレー感が分かります。
ラーメン、カレーライス、ハンバーグは国民食になったようですが、こんなに普及したきっかけは軍隊が採用したことによります。1873年に陸軍(幼年生徒隊)食堂の昼食メニューに、ライスカレーが加わったのです。外食でカレーライスを最初に採用したのは、1877年の「風月堂」でした。日本人が「汚き」と感じたものが、わずか10数年後には食堂のメニューに掲載されるのですから、明治という時代の欧米化の凄さが分かります。いわゆる「海軍カレー」も、まだ明治期の1908年にレシピが採用されました。カレーの歴史で画期的だったのはカレー粉とレトルトカレーの普及でしょうね。
さて、JR「秋葉原」アトレ1改札口を出て、下りエスカレーターで1階に向かうことが多くなりました。スタバのコーヒーの香りに後ろ髪を引っ張られながら、もうすぐ1階というあたりでカレースパイスの香りが「おいで、おいで」と鼻をくすぐります。以前のアキハバラデパートのような猥雑感が消滅した代わりに、清潔感で攻める飲食店がアトレ1階にあります。カレースパイスの出元は「東京カレー屋名店会」です。以前は外側から店内が丸見えだったのですが、画像のようにブラインドが用意され、昼食時は行列もできるようになっています。
アキバの電気製品や音響機器取り扱い店の店舗数は減少傾向にありますが、絶対に消えないだろうと思われるのが、電材・コネクター・電子部品・電気工具類などを販売するショップです。また、電気設備・音響設備の設計施工業者も不滅でしょうね。もっとも、こちらの場合は、業務用機器で、数多くの法人顧客がいる場合のことですが。同じように、セキュリティシステムの販売・取り付け業者も永く生き残れるでしょう。1955年5月にラジオセンターで創業した国際テレビジョンは、1970年10月に社名をトモカ電気としてラジ館内に設立しました。
トモカ電気は、いわゆる戦後の闇市組ではありませんが、テレビ黎明期と同調するように業績を上げた会社です。アキバのDNAのなかにオプションに応じるがあります。わがまま注文に応じられることを意味します。音響機器などはホールに最適化する設計・施工が大切ですし、ケーブル一つの不具合にも、即時に対応できる柔軟性が必要です。トモカの強みは、そうしたことへの対応力だと思います。受信機器やセキュリティ製品などのなかには、いわゆるグレーゾーン商品があります。盗聴発見器と盗聴器はいたちごっこの関係にあります。トモカはどちらにも応じられます。
アキバもそうですが、現在、世界中のショップがグローバル資本主義の荒波と戦っています。家電量販店はおそらく7月のアナログ放送停波以後、先取りしたエコポイント利益を吐き出すビジネスに変わるだろうと思われます。また、家電メーカーはガラパゴスにさようならして、スケールメリットを追求するビジネスのために、業務提携や買収などが頻繁になるだろうと考えられます。そうした時代に入っても強いのは、顧客のわがままに応じられる体制を持つ企業です。デルがパソコンの世界でアレだけのシェアを維持できるのはBTOに徹した結果です。今後のアキバの電気関連ビジネスは、トモカのようなビジネスモデルを見習うべきだと思います。
秋葉原MADは、その店頭アナウンスを聴きにいくだけでも価値ある怪店舗です。ショップサイトのトップページには「ハナのアキバに30年」と書いてありますが、小生が同店の存在に気づくようになったのは現在の場所で営業を開始してからです。MADルールはいろいろあって、「店内通路での飲食、商品の開封、メモ書き、写真撮影、携帯電話、濡れた傘の持込みは断固禁止! 違反者は生命の保証なし、携帯電話は電源を切ってカバンかポケットの中に。もし、手に携帯電話をお持ちの場合、破壊します。上記入店条件を承諾した方のみ御入店ください。上記入店条件を承諾できない方は入店お断りします」ときたもんだ。
店頭アナウンスは、店長による、過激発言のマシンガントークです。あまりの下品ぶりにコレクターがいるのではないでしょうか? はっきりいってアキバのメインストリート中央通りの路面店で、おいおい大丈夫か、他国の悪口、司直の批判、実名あげての政治家に対する罵詈雑言を繰り返してと感じます。店内では写真にあるような商品を販売しています。これはあくまで噂ですが、同店でナイフを購入した客が、すぐにパトロール中の警官に呼び止められ、職質されたそうとか。まっ、ソレはあるだろうナと思わせるアナウンスをしていますからねぇ。
MADのMADらしいところは、元ロケットのシャッターまで実効支配してしまうところです。もしかしたら、家主の許可を得ているのかも知れませんが、売るためならアグレッシブな行為に走る姿だけなら模範といえるかも知れません。小生はMADで、講演用のレーザーポインターや格安ラジオなどを購入したことがありますが、興味をそそられたのはグレーゾーングッズです。何に使うのか、分かるヒトだけ分かる「HDMIフルデジタル画質補正機」「USB接続3波デジタルチューナーPX-S3U」「プロ用盗撮発見器」などなど。一体全体、どのような方たちが購入されるのでしょうね。
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| お元気ですか、社長 |
アキバの電気街改札口に最も近いショップに「トキワムセンがあります。LABI秋葉原パソコン館のビル(当時はサトームセンです)のほんの片隅の場所ですが、ゲーム機に関していえば、メッセサンオーと同程度の歴史あるアキバの老舗です。何10年も前には、この隣店は「ライオン電機」があって、小生はソニーのヘルパーとして、Walkmanなどのゼネラルオーディオを販売していました。同時期にマイコンブームが起こり、たまたま商品知識のあった小生は、ソチラも担当するように命じられました。日本ソフトバンク(現ソフトバンク)の創業時期に相当します。PC-8001、MZ-80Bなどを販売し、MZ-2000が右から左に売れていた時代です。
トキワムセンは、小生がソードのM-5の店頭デモプレイをしている横で、ファミコンに関連した商品を販売していました。コレが大当たり。ライオン電機は社長が多角経営で失敗して、閉店しましたが、ファミコンやスーファミ販売という時流に乗ったトキワムセンは順調な経営を続け、今日まで続いています。80年代の電気街は、駅構内から出れば客引きおじさんたちが、「何かお探しですか?」と声をかけ、若々しい津軽がうろつき、青果市場から逃げてきたドブ鼠が走り回っていました。週に一回は救急車も来ていましたね。もちろん、アキハバラデパートも元気な時代でした。
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| LABIはビジネスに徹します |
テレビゲーム専門店の老舗の地位を確立したトキワムセンですが、規模の経営で他店を呑み込んできたヤマダ電機に嫌味ったらしい攻撃を受けています。もちろん、自店領域でのビジネスですから合法的な行為ですが、トキワムセンの右横で、ゲーム機の販売を開始したのです。現在はXBOX360やPS3などの箱を積み上げて価格攻勢で攻めていますが、過去のアキバでは見られなかった過剰シーンだと述懐します。そういえばヤマダがツクモを傘下にしてから、裏通りのPCパーツ価格が荒れはじめています。「T-ZONE DIY SHOP」の閉店にも影響したのではと推察しています。
ずいぶんブログ更新をサボっていました。茫洋と気分でアキバを歩いて、興味ある対象を撮影したり、店員やメイドちゃんのお話を聴いてみたりしたのですが、どうもアキバ全体のモチベーションが下がっている気がしたんです。1月23日からホコ天が再スタートしますが、コレも管理されたホコ天になりそうで、あまり期待できそうにありません。小生はアキバの雑然たる空気が好きなのですが、アトレ1ができて以降、雑然感も薄くなってしまった気がします。秋葉原タウンマネジメントの皆様たちが歓迎すべき状況になりつつあるのでしょうが、「オレのアキバは?」と80年代に思いがはせるのです。
コレは身体に刺激を与えないといけないナと思い、トプカに行きました。入り口で「ポークカリー」と食券を購入しようとすれば、「辛いけど大丈夫ですか?」のいつもの挨拶。「はい、大丈夫です」と答えましたが、はっきりいって自信がありません。トプカのカレーは、まずカレールーを食べつくすことから始めます。御飯と混ぜると、口腔内の辛さが凶暴になり、相当の辛口好きでなければ完敗します。何度かトライしているうちに見つけた、トプカの「印度ポークカレー」(850円)の攻略法です。インド人(だと思います)の店員さんの言葉ですから、「大丈夫か、オレ」と考えるヒトもいるのでは。
交通博物館の建物も無くなり、小生のアキバ原風景が、どんどん淡い色になっていきます。すぐに配膳されたカレースープを飲みながら、エスニックな雰囲気を醸し出している店内を見回します。トプカの辛味にハマった方が、何人も入店されたり、退店されたり。やってきました、油断すると逃避を余儀なくされるカレーが。深皿には船形のご飯が島のように浮かび、豚肉がゴロゴロとカレー内に転がり、じゃがいも、人参、茄子、ブロッコリーも入っています。スプーンでルーをすくい、口のなかに入れたら、ひたすら、ルーを飲み干す作業に邁進します。コレだけでも、ヒーヒーと口腔内が痺れます。さあ、完食できたかどうか…。トプカを知らないヒトは、一度は挑戦してみてください。
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| ホコ天再開がやっと決まりました |
小生が路上ライブに初めて接したのは小学生のときです。上野の駅通路で傷痍軍人がアコーディオンを弾いていました。現在のような歌のライブに関しては、「新宿西口広場」のフォークゲリラでした。あまりに有名になりすぎて、広場は通路に改称されました。中学生のときです。アキバのホコ天ライブは、何度も見かけましたが、自己陶酔型のヒトから集団パフォーマンスに変貌した頃、そう、ミスド前での集団ハルヒダンスのようになってから、「あっ、コレじゃ、中止にさせられるナ」と感じました。一時期のアキバのホコ天は、ラジコン自動車は走っているわ、ストリップ女が出るわ…。
路上でのライブ行為は所轄警察署の許可を取る必要がありますが、アキバの場合、まず許可されません。ただし、合法的にやる方法はあります。路上メイドのように、いつでも移動できる前提ならば、注意されるだけです。警官がその場で注意するでしょうが、素直に「すいません、すぐ、移動します」と応じるのです。電源、アンプ、スピーカー、マイク一式、CDケースが入った簡易路上ライブカートをサンコーレアモノショップあたりが企画販売したら面白いと思います。路上を占有しての物品販売は禁止ですが、コレなら移動できますから、占有行為に相当しないでしょう。
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| 発表の場を持ちたいですよね |
ちなみに、日本以外の国々では、一般的に場所を決めて、路上パフォーマーに提供しています。東京都のヘブンアーティスト制度は、海外のパクリです。ただし、東京都の場合、CDなどの販売を禁止していますし、演奏の場所、日時も限定されています。諸外国と比較したら頭が固すぎます。それにヘブンアーティストになるための審査基準が大道芸人などに偏り過ぎています。結果、ストリートミュージシャンたちは、ゲリラ的な演奏を選択します。2011年1月23日より期間限定ホコ天がアキバで再開しますが、写真に見られるように、ヨドバシアキバ前でゲリラライブを見かけるときがあります。歌の上手な少女・宮崎奈穂子ちゃんでした。